ここ数日、夏日が続いた。一体、今、われわれを覆っている季節は何なんだ。はっきりしろよなあ、なとど毒づきながらも、そうか、碌に外出もせず部屋に籠って昔の音楽についてあれこれ妄想を膨らませているだけの年寄りに、何の季節が関係あろうかと哂う。 そ…
多分、ポルトガルの宝石商が真珠を選別する時に、歪んだ不良品に与えたと言われる名称「バロック」。バッハ、ヘンデル、フレスコバルディ、パーセル、モンテヴェルディ・・・綺羅星のごとく存在していた巨匠たちが過ごしたその時代を、「バロック」という蔑…
自分の食い扶持の事を考えてだとか、そういう邪な気持ちを持つ事なく音楽と向き合えたのは確か高校の二年生までだったように思う。高校二年生の後期半年ほど、私はことごとく学校をさぼった。果たして三年生に進級できるのか、そいつは大いに怪しかったが、…
隣の部屋から、途切れ途切れではあるが、ずっと夜通し話し声が聴こえていた。何を話しているのかまではわからない。ぼそぼそと低い声で、もし夜が液体ならそこに小さなさざ波が立つみたいに若い女の子が二人、話をしている。時折楽しそうな笑い声が聴こえ、…
思い切って図書館に出掛けた。思い切って?うん、最近とみに体調が悪く、なかなか部屋を出る気がしないんだ。ちょいと出掛けるにしても隣近所まで、もし突然倒れても這ったまま部屋に帰り着けるまでの距離、それが今の私の行動範囲さ。鎖に繋がれたまま小屋…
一昨日の録音、その出来があまりにも酷かったんで、さすがに録り直した。いくら自分がもう音楽家として終わっている事をアピールするための録音だからといっても、さすがにこれは酷すぎる。うん、私にだって一ミリぐらいの矜持はあるんだ。 そうだね。録音の…
録音が済んだら後は部屋に引き籠り、あれやこれやと、しこしこと、そう、編集ってやつに勤しむんだ。録音から編集まで、でも今回の作業、それは決して嫌な事ではなかった。サキソフォーンという楽器を一人で吹き鳴らし、うん、無伴奏という名の演奏形態があ…
昨日は朝からスタジオに籠り、ひたすらデモテープを作った。まったく録音ほど神経を使う仕事はないね。鶴が人目を避けるように部屋に閉じこもり、とんからとんと機を織るように音を紡いでゆくんだ。そうしてスタジオを出る頃にはげっそり、目の周りは歌舞伎…
先週の週末の事だ。随分と無沙汰を決め込んでいた知人から突然の電話があった。ん?何だか暗い声だね。あれ、少し涙ぐんでないかい?そんな時には深入りしない方が身のためだと、無沙汰を詫び早々に話を切り上げようとした。急いで電話を切ろうとする私に縋…
梶井基次郎の「冬の日」を読み耽っている。この小説は私にとって音の宝庫なんだ。ただあまりにも「宝庫」過ぎて、なかなかそれらの音を書き取れないでいた。ともかく複雑な音の帯がもつれるように絡み合って、そいつを一つ一つほどいてゆく。ああ、ともかく…
ここ数年、原因不明の痒みに悩まされている。痒み。うん、痛みなら何となく悲劇的な感じがしないでもないが、痒み、こいつはどこか滑稽感が漂っていて私には似合っていると思う。いや、滑稽だろうが、似合っていようが、ともかく苦痛である事は確かだ。 今の…
あっ、やってしまったと思った時には遅かった。近所のスーパーに食材を買いに出掛けた時の事だ。スーパーは目の前だった。私は地面からちょいと顔をもたげている排水溝の上蓋に、思い切り足をぶつけてしまったんだ。左足の親指から一気に、足全体を包むよう…
最近、中世以前のスタイルで曲を書く事が多い。まるで擬古文を用いるみたいにさ。なんでそんな事をしているのかって?もちろんその先に自由があるかもしれないと思っているからだ。でも、この模倣ってやつはそう簡単じゃあないね。上っ面を真似てそれらしい…
随分と若い頃から事ある毎にその作品を読み返す、自分にとっては指針のような梶井基次郎という作家がいた。まだ頭の上に卵の殻を乗せたままの青臭いガキだった私は、書店の片隅で偶然その本を見つけ、たまたま開いた「冬の日」という作品がもたらす衝撃に身…
ああ、胸がどきどきする。おいおい、どうした?街で奇麗なお姉さんでも見掛けたのかい?いや、まさか、もうずっと仕事部屋に引き籠ったままさ。今、私が安心できる場所は世界中でただ一つ、この仕事机の前だけだ。胸がドキドキしているのは、うん、心臓が暴…
「くたばる前に、どうしてもこれだけは」という夢がある。それはフェデリコ・フェリーニが監督した「8 1/2」という作品を映画館の大スクリーンで見る事さ。実はもうすっかり諦めていたんだ。フェリーニ作品がこの日本という国の映画館で上映されるなんてさ…
昨夜はとうとう吹き出してしまった。何に?って自分の滑稽さにさ。昨日は起き抜けからずしんと頭が痛かったんだ。ここ数日続いた目の酷使のせいだろうか。眼精疲労?うん、多分疲れ切った眼球の裏から滲み出た毒が脳味噌にまで回ってしまったんだろうさ。 そ…
毎日丁寧に研ぎ続けた包丁が突然切れなくなった。何故?百均ストアーで買った出刃包丁とはいえ、日々の研磨で随分と研ぎ澄まされていた筈だぜ。うん、ルーペを使ってよく見ると、ああ、妙に波打つような形になってきているじゃないか。多分、もうこれが限界…
突然、気温が下がったせいだろうか、右手が妙に痛むんだ。身に覚え、うん、そいつはある。確か初夏の頃だったと思う。思い切り地面を殴ってしまったんだ。そんなに地面が憎いのかって?いやいや、そんなはずもない、酔っ払って散歩をしている最中に、公園の…
災難は忘れた頃にやってくるという諺があるが、注文した事をすっかり忘れかけていたサキソフォーンのマウスピースが届いた。ん?自分にとってマウスピースというのは災難の一つなのだろうかと考え、そんな馬鹿な事を考える自分をしょうもない男だと嗤う。 マ…
いよいよ連作の最後の曲に入る。この一年、この連作ってやつに散々振り回されたんだ。途中、もうこの連作は完成しないんじゃないかと諦めかけたが、この秋になって突然、大幅にペースが上がってきた。いったいどうした事だって?うん、もちろん新しい眼鏡の…
何だかばたばたと週末を過ごした。石原まりさんのインスタグラムでたっぷり一時間ほど法螺を吹きまくるという企画をやっている。ここ数か月ほど。そういう訳で石原さんには毎月二度お目に掛かっている。二度?うん、一度目は本番の数日前、打ち合わせなどと…
もう随分と昔、まだ私が洟垂れ小僧だった頃、時折目にした映像がある。それが邦画なのか洋画なのか、あるいはテレビドラマなのかも定かじゃないが、ともかく暗い画面の中、いかにも意地の悪そうな男が鞭をふるいながら「働け、働け」などと叫んでいる。下級…
作曲のペースが一気に速くなった。何故って、もちろん新しい眼鏡のお陰さ。うん、今の私、誰の目にも五線紙に向かって音符を書きつけているように見えるだろう。多分、十数年振りだね。目を悪くして、まったく紙に向かう事ができなかった一年、それ以降、こ…
ルネサンスのイメージ、うん、私ならばまず煌びやかさが浮かぶね。中世に対してルネサンスという時代区分が言われるが、底意地の悪い姑的に捉えるならば、中世というのが時代の名称なのに対して、ルネサンスは文芸運動、すなわち運動の名称という事になる。…
ここ数日の事、酷い体調不良に喘いでいる。喘いでいる?ああ、良い言葉だねえ。ぜいぜい、はあはあ、吐く息もふいごのようです・・・、うん、今の自分の様子をよく表しているじゃあないか。 元々、今年の秋の入り口は、何となく体がおかしかったんだ。ともか…
今年の夏、具体的には2020年8月から、私にとっては初めての試み、「音楽について対話する」という事を始めた。きっかけは九州交響楽団でチェロ奏者として活躍しながら、同時に様々な企画に携わっている石原まりさんから勧めていただいた事にある。石原さんと…
視力を矯正できる事がわかった。これまで、ずっと十年以上もほとんど手探り状態であらゆる作業をこなしてきたんだ。今、書いているこの文章だって、差別的なニュアンスがあるってんでマスコミから消えてしまった言葉、うん、「ブラインドタッチ」とかいいう…
相変わらずおかしな夢を見るもんだね。夢の中の私は、どこか知らない国で、見知らぬ男から住居の提供を受けていた。男は白人。たどたどしい会話が続いていたのは、相手が外国人だからだが、夢から醒めてみると果たして日本語で話していたのか、あちらさんの…
伝染病の襲来で数少ない収入を絶たれた私は、気を紛らわす事も兼ねてともかく趣味を持つ事にした。遠出する気力もなく、うん、電車やバスに乗る事すら真っ平だってんで、部屋に閉じこもっていてもできる趣味、ああ、そうだ、魚を捌く技を磨こう。たまたま最…