通信24-24 ヒロインを待ち続ける野獣の苦しみに慄く

 ああ、胸がどきどきする。おいおい、どうした?街で奇麗なお姉さんでも見掛けたのかい?いや、まさか、もうずっと仕事部屋に引き籠ったままさ。今、私が安心できる場所は世界中でただ一つ、この仕事机の前だけだ。胸がドキドキしているのは、うん、心臓が暴れているのさ。季節の変わり目のせいなのか、それともいよいよ本格的な病気という底なし沼に深く沈み込もうとしているのか、ともかく私のこの心臓は別に元気が有り余って暴れてるってな訳じゃあない。ただ、ちょいとやけくそになっているのさ。

 

 そういえば物の本で読んだ記憶があるが、一組の男女が一緒に怖い目に遭うと、その二人は恋に落ち易くなるとあった。怖さの「どきどき」を、意識ってやつが勝手に恋愛の「どきどき」と勘違いしてしまうんだってさ。おお、三木茂夫先生仰るようにまさに心は内臓にありってな訳だね。ならば私もこの「どきどき」を恋心と勘違いし、甘い恋歌の一つでも捻り出せそうなもんだが、いやいや、色っぽい出来事とはすっかり遠く隔たってしまった。せいぜい明日の我が身を案じるどきどきと勘違いした挙句「貧窮問答歌」の一つでも捻りだす、それぐらいが関の山さ。

 

 そういえば昨夜は恋愛物の映画を観たんだ。夜中に寒くなり、押し入れをごそごそ、何かこの痩せ衰えた体に巻き付ける布はないだろうかと掻き回していたら、ぽろりと落ちてきたディスク、そいつは詩人ジャン・コクトーが監督した「美女と野獣」だった。

 

 うん、お伽噺さ。ただとても質の高い、大人のためのお伽噺。たちまち見入ってしまった。数年前だったか、ディズニーでもアニメ化されたそうだが、私は観ていない。当然比べようもないが、ともかくこのジャン・コクトー版は素晴らしい。

 

 故あって野獣の元で暮らすこの物語のヒロイン、ベル。心優しい野獣は、必ず戻ってくるというベルの言葉を信じ、彼女を危篤の父の元へと帰らせる。本当にベルは自分の元へと戻ってくるのだろうかという野獣の心を占める不安、そして野獣に心惹かれながらも心から愛する事ができないというベルの不安、ああ、何しろ相手は野獣だからね、それらの脆すぎる心を痛いほどに切なく描くジャン・コクトーの手腕に、「まいったね」と呟きながらもすっかりその映像に惹き込まれてしまった。

 

 前回このフィルムを観たのは十年ほども前の事だろうか。その時も良い作品だとは思ったが、今回のように痛さを感じる事はなかった。もちろん私自身が変わってしまったのさ。ひたすらに待ち続ける事の切なさ、私も次第に終わりが見えてきて、ようやく繊細な心ってもんがわかるようになったって訳だ。

 

 そういえば昨日、訳あって十年以上も前に書き上げた小品集の譜面を広げてみた。ああ、何という無神経さ。十年前の私は、この音符を心から良いと思って書きつけたのだろうか。それとも締め切りに押し切られてしまったのか。うん、当時の事はまったく思い出せないが、でも、人生の終わりに近づいてゆくってのは必ずしも悪い事じゃあないね。音に限らず、今の私はあらゆる物事と真剣に出会えているような気がしている。今朝だって、信じられないぐらい美しい朝陽に視界を擽られ、清潔な甘やかさを纏った風に頬を撫でられたんだぜ。もちろんそれは単なるいつもの秋の朝かも知れない。でも私にとっては初めての朝のように思えたんだ。

 

                                                                                              2020. 10. 29.