通信30-1 いや、まだ梅雨は明けちゃあいないぜ

 真上から降り注出来る陽光が肌をじりじりと炙る、そんな晴天が続く。梅雨は明けた?いやいや、騙されちゃいけない。たとえ見掛け上の晴天が続くとも、今は梅雨の真っ最中だ。半夏雨だっけ、あのピンボールとかいうゲーム機の中に頭を突っ込んでしまったんじゃないかと錯覚を起こすぐらいに、閃光と轟音の渦巻く雷雨の洗礼、そいつを受ける事なしに梅雨が明けたなんて思っちゃいけないぜ。

 

 スタジオで楽器をさらう代わりに図書館通いを始めた。図書館、その薄暗い「知」の殿堂に足を踏み入れるのは、およそ十五年ぶりぐらいだ。ちなみにこの十五年は、「病気」の殿堂、病院というところに通い詰めていた。ともあれ図書館、その静かな空間をうろついていると 私の弱い頭はたちまちくらくらと眩暈を起こすんだ。私の哀れな脳味噌がその建物の中に溢れ返り、渦を巻いている「知」ってやつに押し潰されそうになっているのさ。

 

 でもしょうがない。うん、音楽史についてちょいとまともな文章を書こうと思っているんだ。まともな文章?そうさ、そいつを書くために何より必要なのは、図書館や書店をぐるぐると歩き回るための脚力さ。そんな訳で今の私は、誰かが出鱈目に打ったビリヤードの玉さながらに、壁にぶつかってはそこから跳ね返るように、ぐるぐると間抜けに図書館の中を歩き回っている。それにしても十五年ぶりの図書館、何だかちょいと雰囲気が変わったんじゃないのかね。ああ、そうだ、近所にあった馬鹿でかい大学が移転してしまったんだ。閲覧室のテーブルに山のように本を積み上げ、一心不乱にノートに書き込みをしている学生さんたちの姿が消えてしまったんだ。その一方で夏の暑さ、冬の寒さから避難するように、図書館のソファーに凭れて新聞や雑誌を読み耽る老人たち、かつての私のお仲間たち、彼らは相変わらず健在だ。

 

 それにしてもいささか清々しいね。頭の中をきちんと整理するってのは。インターネットとかに溢れるてんこ盛りの怪しい嘘、そいつをきちんと修正してゆくのはただただ快感だね。そういえば二十年前ぐらいからだろうか、版元に記事を渡すたびに、インターネット上に流れる怪しい情報を元に、人が一生懸命に書き上げた原稿に、軽々しく朱を入れてくる若い編集者たちに違和感を持ち始めたのは。インターネットの情報を盲信する彼らの態度は、確実にこの国の文化のレベルを下げていると確信している。それにしてもインターネット上に溢れる情報、孫引きの孫引きの、そのまた孫引きの・・・、一体先祖何代に渡る情報を使い回しているんだろう。とはいえインターネットの記事を大いに参考にしている部分は私にもある。そいつはPDFとして保管されている記事さ。その記事の中の注釈に示されている引用元。その引用元の書籍を探して図書館の中をうろうろと歩き回るんだ。

 

 という訳で久々に下書き用の大学ノートを引っぱり出し、鉛筆舐め舐め、うん、最近の鉛筆は品質が上がり、鉛中毒に陥るリスクも無くなったと聞いているからね、ともかく初心に還り、人生の締め括りってやつに真面目に取り組もうと思っているんだ。

 

                                  2024  7  10