通信29-16 コンサートの始まり

 歴史上最も古くから認められた観光都ヴェネツィア、そこに坐するサン・マルコ聖堂、そこから新しい音楽の在り方が始まった。東ローマ帝国内の自治領であるヴェネツィア自治領であるがゆえに、カトリック教会から自由な立場を取り続ける事ができた。

 

 ヴェネツィア共和国時代のサン・マルコ聖堂はカトリック教会の司教座聖堂ではなく、ドージェ(共和国総督)の礼拝堂として存在していたが、ここでは神をも恐れぬ派手な音楽が横行していた。元々カトリック教会では持ち込む事が禁止されていた金管楽器を高らかに鳴らしてみたり、聖歌隊を大胆に配置したりと、音響の良さをとことん極めつくすような立体的な演奏がジョバンニ・ガブリエリのようなすぐれた作曲家を中心に繰り広げられていたんだ。ジョバンナ・ガブリエリ、うん、初めて譜面にピアノだとかフォルテだとか、音の強弱を書き込んだ作曲家さ。音の持つ効果をふんだんに駆使したんだ。ちなみに私の勝手な思い込みかもしれないが、こういう効果的な技法はアルフレード・カゼッラやオトリーノ・レスピーギに受け継がれているような気がしている。

 

 それにしてもさすがは観光都ヴェネツィアだね。後にはアントン・ヴィヴァルディがこの地に女子孤児修道院合奏団なるものを作り大人気を博すのだが、今の日本でいうならば松竹少女歌劇団か、はたまたAKB48ってなところかね。

 

 やがて新しい動向はリューベックに飛び火する。そう、自由ハンザ都市リューベック、「ハンザの女王」と称せられた名高い商都さ。リューベックの聖マリア教会、そのオルガニスト、フランツ・トゥンダーが教会でのオルガン演奏を一般に公開した。ディートリヒ・ブスクテフーデが後を継ぐと、やがてその演奏会は「アーベント・ムジーク」という名で非常な盛り上がりを見せる。最初はほそぼそとオルガン一台でやっていた演奏会に、さまざまな室内楽や合唱が加わり、やがて教会は演奏会場としての役割をも果たすようになる。

 

 ほぼ同じ時期にはハンブルグでも、うん、やはり自由ハンザ都市として栄えたハンブルグでも新しい動きが始まる。1600年代半ば頃に活躍したカントール、トーマス・ゼーレ。この人はまさに孤軍奮闘、頭の固い司教に何度も様々な交渉をしては断られ続けている。例えば華やかな効果を出すために金管楽器の使用を認めて欲しい等々。何故教会に華やかな効果が必要なのかって。その頃にはもう聴衆を呼んで利益を得るというスタイルが出来上がりかけていたからさ。さすがに直接入場料を取る事は許可されなかったが、そのかわりに解説書を印刷し、それを聴衆に販売したんだ。実質的な入場料だね。うん、これこそが現在のコンサートの始まりと言ってもいいだろうね。

 

 ちなみにこのトーマス・ゼーレなる御仁、教会音楽そのものをこき下ろしていたらしい。教会音楽は暗くて客を呼び込めないってな訳さ。そして新しい世紀(18世紀)を迎えると、この商都に凄まじい商才を持った天才が現れる。うん、それが作曲家としても有名なゲオルグ・フィリップ・テレマンだ。この続きはまた後日。 

 

                                            2024  1  23