通信24-19 新しい古傷

 突然、気温が下がったせいだろうか、右手が妙に痛むんだ。身に覚え、うん、そいつはある。確か初夏の頃だったと思う。思い切り地面を殴ってしまったんだ。そんなに地面が憎いのかって?いやいや、そんなはずもない、酔っ払って散歩をしている最中に、公園の大きな木の根っ子、そいつに足を取られたのさ。何故か手のひらでなく、拳で体を支えようとしてしまったって訳だ。うん、酔っ払なんて訳が分からない事をするもんさ。出血もあったんだが、酔っ払いってのはともかく無駄に勇ましい。そのまま手も洗わずにしばらく公園で暢気に過ごしてしまった。

 

 家に帰り着いてからゆっくり手を見ると、あれ、何だか変形しているぞ。左手と並べてみると、ほうら、あるべきところにある筈のものがなくなっているじゃないか。そうさ右手中指から小指にかけての腱が無くなっているんだ。何だか拳が平べったくなっていて、うん、大いに間抜けって訳さ。これじゃあまるでドラえもんの拳だね。

 

 おいおい、骨が砕けてしまったんじゃないだろうなと、慌てて押し入れから解剖図鑑を取り出した。手の解剖図を見ると、あれ、骨が砕けたのかと思ったら、そうか、ここには元々骨なんてなかったんだ。そういえば昔、「蛸の八ちゃん」という漫画を見ていたら、八ちゃんが「いててて、大変だ、骨折したみたいだ」と騒ぎ出し、子蛸から「蛸には元々骨はありません」と諭される場面があったが、うん、私の間抜け振りも八ちゃんのそれと大して変わらないね。

 

 ともかく骨折じゃないとすれば腱がめり込むぐらいに筋が伸びたか、縮んだか、まあ、大方そんなところだろうね。じんじんと痺れる手を宥めながら退屈な日々を過ごすうちに、いつの間にかおかしな右手の状態にもすっかり慣れてしまっていた。楽器を操る指の動きはいささか遅くなったが、別に生活全般に支障がある訳じゃない。

 

 そして今、改めてその傷がずきずきと痛むんだ。待てよ、この痛み、何となく古傷の痛み、そいつに似てないかい?ああ、そうだね。だとすればこの傷、もう古傷とやらになってしまったのかね。古くなるのがちょいと早すぎやしないか。だって地面を殴ったのって、ほんの数か月前の事だぜ。

 

 それにしても私の右手、一体どうなってしまったんだろうか?レントゲンなどとる暇も金もないので、「よし、念力、透視の術、むむむ・・・」などと呟きながらじっと手の甲を見つめてみるが、駄目だ、俄か念力など役に立つ由もない。うん、でもね、こんな私でも時折はピアノを弾いてくれなどとせがまれる事があるんだが、よしよし、これで断る理由ができたってなもんさ。「弾いて差し上げたいのはやまやまなのですが、この右手では・・・」などと呟くように言い、眉を八の字に寄せたまま悲し気に首を振る、うん、いいね、今年の冬はそれでいこう。

 

                                                                                                 2020. 10. 24.