通信24-16 私の貧しい生命は今どこに?

 何だかばたばたと週末を過ごした。石原まりさんのインスタグラムでたっぷり一時間ほど法螺を吹きまくるという企画をやっている。ここ数か月ほど。そういう訳で石原さんには毎月二度お目に掛かっている。二度?うん、一度目は本番の数日前、打ち合わせなどと称して石原さんお一人を相手に法螺を吹いてみて手応えを探るんだ。そうして本番ではその法螺に、さらに大袈裟な色を着けて、さあ、舌がすり減るまで喋るんだ。

 

 今回の法螺吹き会は数日前の日曜日、それでさらにそれから二三日ほど前、打ち合わせのために石原さんにお会いした。さて、どこでお話ししましょうかと思う間もなく、石原さんが突然ついてきて欲しいなどと仰る。えっ?どこへ?私の質問にむにゃむにゃむにゃと答える彼女の言葉はまだよく理解できない。分かったのはともかくその夜、彼女がどこかで急にチェロを弾かなくてはならなくなったという事、そこで晩御飯をいただくという事、その二点だった。

 

 バッハの無伴奏組曲の一番を弾くのでちょいと聴いてくれという彼女の言葉に、うん、それぐらいならお安い御用だと請け合うが、たまたまその日の朝は、とあるヴァイオリニストのお姉さんが来月とある場所で、ヴィオラを使って同じバッハの組曲を弾かなければならなくなったのでちょいと聴いてくれと、毎日私が籠っているスタジオにやってこられたんだ。朝と夕方にヴィオラとチェロでそれぞれバッハを聴く。うん、なかなか得難い体験だね。楽器の鳴りと曲の関係について改めていろいろと確かめる事ができて、それなりに有意義な一日だった。

 

 うん、まあ、それはいいんだ。石原さんに連れられて行った場所。それがなかなかのところさ。とあるビルの二階に上がる。そのビルの中には店舗が横に並んでいるんだが、ふと気になる看板が目に入り、私は思わず「おいおい、凄い看板があるぞ」と石原さんに耳打ちしようとした。その看板「日本生命科学研究所」と書いてあるんだ。と耳打ちする暇もなく、石原さんその研究所にずかずかと入ってゆくじゃあないか。ええ?この研究所に用があるのかい?実はその研究所でこれから会議があり、その会議の後のお食事会に、石原さんがチェロの演奏で華を添えるってな事になっているのが私にも次第に分かって来たんだ。

 

 研究所の下階にはアトリエがあり、アトリエ?うん、アトリエ、実は研究所の主宰者は彫刻家なんだ、イタリア帰りだってさ、そのアトリエで石原さんのバッハの解釈を聴かせて貰い、なるほどなるほどと首を振っているうちにお呼びがかかり、荷物と馬鹿面をぶら下げて、執事のごとくチェロを抱えた彼女の後について行ったんだ。

 

 演奏を終え、さあ、後は得意のただ飯喰らいって訳さ。五臓六腑に染みわたるようなワインをいただき、あれ?禁酒中じゃなかったっけ?うん、そうだけどさ、とても素面じゃいられないってんでぐぶぐびと喉を潤す。楽しいお食事会がお開きになって外へでると、ああ、小雨そぼ降る石畳ってな感じで石原さんと別れ、濡れ鼠となってとぼとぼ博多の街を歩いたんだ。

 

 一晩寝て、目を覚ますと、あれ、体がむちゃくちゃに重いじゃあないか。かのフランツ・シューベルト先生は臨終の床で、自分の体あまりに重いのでベッドが潰れるんじゃないかと心配したらしいが、ああ、こんな感じなのかね。ともかく重力には逆らえないってんでひたすら眠った。ううううん、この疲れは何なんだろう?もしかしたら「生命科学研究所」で私の生命とらやもすっぽり抜き取らてしまったんじゃないだろうか?ああ、ならばせめて私の萎んで消えかかった生命とやらも研究材料として少しでも世の中の役に立てていただきたい。

 

                                           2020. 10. 21.