通信24-14 新しい眼鏡

 作曲のペースが一気に速くなった。何故って、もちろん新しい眼鏡のお陰さ。うん、今の私、誰の目にも五線紙に向かって音符を書きつけているように見えるだろう。多分、十数年振りだね。目を悪くして、まったく紙に向かう事ができなかった一年、それ以降、これまでは紙にへばりつくように、目の玉を五線紙すれすれに近づけて、うん、いつも思い出すのは版画家の棟方志功大先生さ。板にぎりぎりまで顔を近づけ、物凄い勢いで彫り込んでゆく。いやいや、そんな偉い大先生に自分を喩えるなんて厚かましい限りだ。この私といえば、餌入れに顔を突っ込んだ浅ましい犬のように、ふがふがと息の音も荒々しく、すっかり肉が無くなってしまった骨までもしゃぶり尽くさんばかいりの勢いで音符に向かっていたんだ。うん、音楽ってやつの骨の髄までしゃぶりつくしてやろうって腹積もりさ。

 

 ええ?その姿って何だか凄く格好悪くないかい?もちろん醜悪の極みだ。絶対に人前で音符を書く姿を晒す事なんでしない。その姿、間違いなく見ている人を不快にするだろうね。私が作曲している間、決してこの襖を開けてはいけません、ああ、まるで鶴の恩返しだね、といってもここ十年以上、同居人を持った事もないし、人に見られる心配などなかったが。

 

 そういえば元々自分の仕事部屋に人を招き入れる事はなかった。最近は貧乏暮らしに落ち着き、仕事部屋と住居が一つになってしまった事もあり、時折誰かが遊びに来るようになってしまった。要するに作曲という行為に対してだらしなく、不真面目になってしまっていたんだ。ああ、でも、やはり仕事部屋に人を入れるべきじゃないね。うん、それについては猛省している。作曲、それには異空間とでも言うような場所が必要なんだ。

 

 新しい眼鏡を使い始めて三日ほどになるだろうか、いささか目の玉がびっくりしているってな感じさ。もうその役目を終わらせかけている目ん玉ってやつを揺さぶり起こして、無理矢理に働かせているという感じがするね。うん、申し訳ない。でもそんなにいつまでもってな訳じゃあないからさ。ああ、もう少しだからね、せめて年を越すぐらいまでは一緒に頑張ろうね。

 

                                                                                                          2020. 10. 14.