通信22-22 少しずつ仕事の勘が戻ってくる

 年を越したあたりから、下書き用のノートに書きつけるメモの量がすっかり減ってしまった。うん、これは良い事なんだ。記憶の機能が上がってきているんだ。メモに頼らず頭の中で粘土を捏ねるように音の塊を捏ねてゆく。ああ、これこそが作曲の醍醐味さ。

 

 自分の書いたオーケストラの曲を、実際に演奏して貰ったのは二十代の半ば頃だった。何だかとても贅沢な気分だったね。まだコンピューターなど存在しなかった頃の事、書かれたオーケストラ曲を実際に自分の耳で聴く事ができる作曲家などほんの一握りだった。 

 

 およそ三十分ほどの長さの曲だったが、その時は下書き用のスコアも作らなかった。オーケストラ用の三十段の五線紙を一枚、市販の五線紙は二つ折になっているから実際には二枚、その裏表で四枚、そこに思いついた音符や、呪文のような言葉を書き付け、その五線紙が塗り潰されたように黒くなった頃、突然憑かれたように清書を始めた。すとんと清書の中に落ち込んだってな感じさ。

 

 アパートの近くにあった果樹園の中をぐるぐると歩き回りながら集中を高め、部屋に駆け戻るとそれから朝まで一気に清書する。仮寝みたいな浅い仮眠をとって早い午後にまた果樹園に出掛け、またぐるぐると・・・そんな日を幾つか繰り返しているうちに作品は出来上がっていた。書いている途中はとにかく不安で、涙と鼻水でぐずぐずになりながら五線紙と取っ組み合っているんだが、書き終えてしまうと、あれ、いつの間に?という不思議な感覚に落ち込んだ。

 

 季節外れの果樹園には人一人いなくて、誰とも出会う心配のない私は好き勝手に歩き回り、時折、うん、数時間に一度ぐらいだったか、突然現れる農家の軽トラックを正体不明の大きな獣のように錯覚し肝を潰したんだ。

 

 出来上がったのは勢いこそあるがどこまでも荒っぽい作品だった。ごろりと地面に転がっていたような太い木の幹から、大鉈一本で彫り出したというような感じの響きだった。繊細さは欠片もなかったが、推進力だけはあった。

 

 推進力、うん、残念ながら上達していくという事はその推進力というやつを削り落としてゆく事なんだ。上達してゆくとより豊穣かつ繊細になった響きは花のようにそこに美しく存在する。でもそれは自分が欲しかった、ずっと夢見ていた力強い音楽とは違っていた。

 

 この歳になって自分にまたオーケストラの曲を書く機会がやってくるとは思っていなかった。いや、機会がやってくるというよりも、また自分にそんな意欲が戻って来るとは思ってなかったんだ。今、綱渡りの細い綱の上に自分がかろうじて存在しているかのような不安を感じている。多分、完成は遅い秋になるだろう。それぐらいなら何とか体も持つような気がしている。この作品が出来上がったら、即座にくたばってもいいね。うん、でもさ、そんな気持ちと同時に、あと三十年も生きて巨大な曼陀羅図のような作品群を書き残してやるんだなどという、全く正反対の思いが自分の中で何の矛盾もなく同居しているんだ。まったく可笑しなもんだね。

 

                                                                                                         2019. 1. 16.