通信29-15 商品としてのオペラの誕生

 大胆、自由にしてどこまでも誠実、モンテヴェルディはまさにそういう作曲家だった。そしてそういう作曲家の出現がオペラという新しい様式を発展させたんだ。多分声高に理念ばかりを掲げる扇動家の連中にまかせていては、新しい音楽はできなかっただろうね。音楽が発展するためには何より、人々を引き付ける魅力がなきゃあならないんだ。

 

 台本に描かれた情景を描写するために大胆な不協和音を用いたり、今では当たり前の技法になっている弦楽器のピチカートやトレモロを使い始めたのもこのモンテヴェルディ大先生さ。そしてこの大胆かつ斬新な表現を可能にしたのは、モンテヴェルディが前時代の作曲技法を深く理解し、その技を完璧に習熟しているという事実だった。肥えた土壌が泣きゃ新しい花だって咲かないさ。しかし、それにも関わらずモンテヴェルディは、古い時代の音楽こそが本当の音楽だと主張して止まない保守的な音楽家たちによってさんざん攻撃されたんだ。

 

 モンテヴェルディは九冊からなるマドリガーレという曲集を出版し続けた。ところがそのマドリガーレに噛みつく石頭が現れたんだ。ジョバンナ・マリア・アルトゥージという音楽学者さ。アルトゥージは「常識を知らない最近の音楽家」とかいうタイトルの論文で、モンテヴェルディの、しかもまだ未発表のマドリガーレを引用し、ご丁寧にいちいち間違っている(前時代の音楽では認められていない技法を用いた)箇所を抜き出し、修正を加えてみせたんだ。まるで先生ができの悪い生徒にするようにね。

 

 モンテヴェルディが直接的にアルトゥージに反論したのかどうかは知らない。ただ続くマドリガーレ第五巻の序文で、たぶん自身を批判する文言に対するものだろうという文章を認める。自分は古い技法を否定するわけではない。ただ古い技法とは別の理念に基く作曲法があるのだと。後にモンテヴェルディは第一の作法、第二の作法という表現も用いるようになる。従来の作曲法である第一の作法。それに対し新しい第二の作法、そこではより歌詞の重要性を強調し、これまでの宗教的な歌詞から、より世俗的な歌詞に寄り添うための作曲技法の必要性を説いている。音楽は神のものではなく、人のものとなりつつあるんだ。より細やかな人の心の機微を表現するためには新しい技法が必要だって訳さ。

 

 こうして例えば宮廷人など、より多くの半玄人によるオペラ作品が作られてゆくようになった。うん、新しい作法、それは果てしない修練よりもセンスの良し悪しが問われるような作曲法なんだ。ちょいと心得のある多くの貴族が自ら台本に曲を付け、同時に主役も演じる。主役をやらせて貰う事と引き換えに、自身の屋敷を会場として提供し、大道具や衣装などの費用も負担した。最初は宮廷内における冠婚葬祭の引き出物として存在したオペラは、やがて一般の人々の関心を引くようになり、音楽史上始めて一般人に対してチケットというものを販売するようになる。こうして次第に音楽は商品と化していったんだ。さあ、新しい時代の到来さ。これ以降の急速な音楽技術の発達の、その多くは音楽の商業化によるものが大きいだろう。音楽は良くも悪くも急激に変化してゆく。うん、もう後戻りはできないぜ。

 

                                           2024  1  20