通信26-1 寝るより楽はなかりけりだって?

 「寝るより楽はなかりけり」などという狂歌を詠んだのは、江戸時代後期に活躍した文人大田南畝だが、うううん、本当かねえ?寝るのが楽?この数か月、これまでの人生で一度もなかったほどよく寝たが、といっても実際には布団の中で虚ろに過ごしていたというだけだが、ただただ苦痛だったね。三月一杯で長い書き物を終え、四月はその反動か、すっかり虚脱していた。今、福岡市の西新という街では「ミイラ展」なるものが開かれているが、多分その時の私が展示されているミイラの中に紛れ込んでも、誰も気づかないんじゃあないだろうかね。

 

 机と寝床の間をひたすら行き来した数か月だった。作曲といえば、私にとってそれは路上でなされるもののはずだった。ひたすら歩き回っているうちに、いつの間にか汗だか涙だか判然としないものが溢れ出して来て、いや、汗でも涙でもないさ、音、そいつが湧き出してきて、いつの間にか曲が出来ている、それが私の作曲の作法ってやつだった。

 

 でも今回は違った。布団に包まったまま、ひたすら頭の中で音を捏ね回す、妄想の中でどれだけ街を歩き回った事だろう。芭蕉先生のお言葉をお借りするならば「夢は枯野を駆け巡る」ってなもんさ。

 

 それにしても寝るってのは単純に体が辛いね。半日も寝ていると背中がずきずきと痛みだすんだ。あちらへこちらへと変てこな姿で寝返りを打って、うん、まるでボルダリングとかいう競技の選手みたいな姿で、それでもとうとう耐えられなくなると、ごそごそと布団を這い出して机に向かい、妄想の散歩の中で拾った音符を五線紙に書きつける、ああ、そんな日々が続いたんだ。

 

 そういえば私の実父は最後の数年を寝たきりで過ごした。植物状態ってやつさ。病院に呼ばれ、駆け付けた時にはもう息を引き取った後で、看護師さんたちが木材でも扱うように遺体の汚れを拭き取って下さっていた。ごろりと体をひっくり返した時、えっ?何だ、この穴は?背中に大きな穴が開いていたんだ。うん?死因は一体なんだったんだっけ?恐る恐る「この穴は何でしょう?」と問い掛ける私に看護師さんは事もなげに「褥瘡ですよ」と言う。ああ、床ずれか、しかしそれ以来、私は布団に入る事にいささかの抵抗感を持つようになってしまったんだ。

 

 まあ、そんな事はどうでもいいさ。風薫る五月、うん、そいつがとうとうやって来たんだ。さあ、布団を畳んでさ。街を歩こう。少なくともあと二曲、今年中に「水の流浪」の第三集と協奏曲、そいつを仕上げなきゃならないんだ。書くべき音符はまだまだある。そこでふと考えてみたんだが、ならば書くべき文字はあるのだろうかと。いやいや、今更私などがぐにゃぐにゃと言葉を並べたところでどうしようもないさ。恋文の一通すら書いたところで、それを読んで下さるお姉さんもいない。いや、待てよ、少しだけ書いて置きたい事があるじゃないか。ほら、去年半年に渡って、九州交響楽団でチェロを弾かれている石原まりさんのインスタグラムにお邪魔して、そこで垂れ流した音楽史、ああ、人前で喋るってのはやっぱり駄目だねえ、滑舌、うん、私のそいつが致命的なんだ。まるでハクション大魔王とかいう間抜けなアニメの主人公、そいつみたいにふがふがと、おいおい、この爺さん何を言ってるんだい?ってなもんさ。

 

 ならばその音楽史を文字で補足しておこうか。言い足りない事もさんざんあったし、言い間違いもあった。いや、そもそもその半年に渡るお喋りで私の中はさらに音楽の歴史に対する新たな疑問で一杯になってしまったんだ。私の中でごぼごぼと泡のように湧いてきた疑問、そいつに自分自身で一つ一つ答えるように、うん、覚書ってやつさ、そいつをしたためてやろうかね、などと思っているところだ。

 

                                                                                                       2021. 5. 1.