通信29-14 オペラの誕生

 フランスの貴族が「ルネーッサンス」のなどと叫びながら、ワイングラスをぶつけ合ったのかどうかは知らないが、ルネサンス、ともかくその運動はイタリアより起こった。ちなみにルネサンスという言葉はフランス語だが、それは十九世紀のフランスの歴史家ミシュレが自著の中で正式も用いた事により広まったとされる。ルネサンスは主に文芸復興などと訳されるが、要するに古代ギリシャ、ローマの文化を復興させようという運動さ。ダンテはその代表作「神曲」の中で物語のナビゲーターとして古代ローマの詩人ウェルギリウスを登場させるし、ミケランジェロはローマ支庁前の広場から掘り起こされたラオコーン像にすっかり心を奪われる。

 

 ならば音楽は?いや、音楽が直接にルネサンスの波に乗る事はなかった。何と言ってもモデル、そいつが存在しないんだ。古代ギリシャの音楽の記録、僅かながらにそれは存在する。古代ギリシャでは音の高さをアルファベットで表した。そのアルファベットに絡む不思議な記号、石板に刻み込まれたその不可解な譜面を一体どう読み解けばいいのか。

 

 その当時から二十世紀に至るまでの間に、古代ギリシャの音楽の再現はさまざまに行われてきた。でもそこから読み取れるのはそれぞれの時代に音楽家たちが古代ギリシャにどういうイメージを持っていたかという事だけさ。二十世紀の後半になると「最新のコンピューターを用いて再現した古代ギリシャの音楽」などという、何とも泣かせる謳い文句で、とんでもないゲテモノを発表した大学もあった。

 

 だが1500年後半のイタリアでは、資料のないジレンマから全く新しい音楽を生み出す事となった。当時、新しい文化を先導していたカメラータというグループ、その中の中心的人物にヴィンセンティオ・ガリレオという人物がいた。ガリレオ?うん、そうさ、「それでも地球は回っている」と言い張ってぼこぼこにされたガリレオ・ガリレイ、その父親さ。彼はギリシャ悲劇を音楽として再現する事を考えたんだ。シンプルな和音に乗せて、ギリシャ悲劇の台詞を高らかに読み上げる。やがてそれらの台詞に付けられた抑揚は次第に旋律へと形を変えていった。こうしてオペラが誕生したんだ。それまでの端正な対位法は捨て去られ、うん、何より歌詞がはっきりと聴き取れる事が何より重要だからね、モノディと呼ばれる簡単な伴奏を付けた単旋律の音楽が生まれたんだ。

 

 オペラという新しい形式、多分これは当時のイタリアの人々の気質と合っていたんだろうね、オペラは瞬く間に広がった。主に貴族の冠婚葬祭を彩るために。まあ言ってみれば引き出物みたいなものさ。非常にシンプルで素朴なものが、まるで雨後の筍のよう、わらわらと現れたんだ。だがそれらは決してレベルが高いものとは言えない。そこに良いタイミングで現れたのが、かの天才クラウディオ・モンテヴェルディさ。オペラという形が出来てわずかに十数年、そこからモンテヴェルディは数々の名作を生みだしてゆくんだ。

                                             2024  1  15