通信29-3 古代ギリシャの祭りは想像がつかないくらいぶっ飛んだものだったらしい
唐突な話をすると、中世の理論家ヨハンネス・ド・グロケオが1300年頃、「これからは耳に聴こえる音楽のみを音楽とする」という、現代の我々からするといささか奇異に思える宣言をする。えっ?てえことは、それまでは耳に聴こえない音楽も存在したって事かい?うん、実はそうなんだ。
ここからちょいと厄介な話になる。古代ギリシャの音楽思想を中世に伝えた哲学者ポエテゥスが、500年頃の書き記し著書「音楽教程」によると、古代ギリシャ人は音楽を三つに分類したとある。一つ目はムシカ・ムンダーナ、二つ目はムシカ・フマーナ、そして最後にムシカ・インストルメンタル。まずはムシカ・ムンダーナ、これは天体の音楽とでも言えば言いのだろうか、天空に坐する惑星はそれぞれが音を発しており、それらの星々が発する音は調和して、妙なる和音を奏でている。空から星が落っこちてこないのは星々が絶妙なバランスでもって吊りあいを保っているからだ。ただし星々が奏でる和音は、人間が存在を始める前から鳴り続けているため、人間の耳には知覚できない。
次のムシカ・フマーナ、要するに人間の音楽。人体にも天空の星と同じように絶妙な吊りあいの中で存在している臓器というものがあり、やはりその臓器は音を発し、和音を奏で続けているのだが、その和音を追求する事で人は人間の真理というものを学ぶ事ができる。
そして最後にムシカ・インストルメンタル、楽器をじゃかじゃかと掻き鳴らして楽しむ、これをギリシャ人は音楽として最も低いものと考えた。かの哲学者プラトン大先生だって最近の若者はじゃかじゃか楽器を掻き鳴らすばかりで音楽の真髄を探ろうとしないなどと、エレキギターにうつつを抜かす若者を非難する頑固爺のような非難めいた言葉を漏らしておられた。ちなみにプラトンからおよそ百年ほど後に活躍したアリストテレス先生は、遊戯と休息としての音楽は徳を育てるのに役立つなどと、楽器の音楽に対して寛容な立場を示している。
ただプラトン、アリストテレス、その二人ともが、一般市民以上の立場にあるものが楽器を奏でる事を禁じている。何故かって、うん、演奏とは奴隷がやるものだったからさ。ちなみに当時の高級娼婦はアウロスを演奏できる事が条件だったらしく、「アウロス吹き」と呼ばれていた。○○で体を慰めた後は、アウロスを聴かせて心を慰めるってなもんなのかねえ。
尚、当時は酒神バッカスを讃えたディオニソス信仰というものも存在し、エクスタシーによる陶酔を通して神に近づくという、なにやら人時代前に流行ったビート族の言葉を思い起こさせるような思想もあった。ディオニソスの祭りが巻き起こす混乱は、今の我々には到底想像もできないほど激しいものだったらしい。
私のような無学無教養の輩が古代ギリシャを描こうとしても、やはり大いに無理があるね。興味を持たれる皆さまにはプラトンの「法律」「国家」、アリストテレスの「政治学」をお勧めしておく。という訳で病気と戯れながらかろうじて生きている私には時間がない。先を急ごう。
2023 11 27