通信29-2 牛の腸と亀の甲羅から生まれた美しい響き

 ヘルメス、そう、知性を掌る神であるヘルメス。ある時ヘルメスはふと考えた。長さの違う複数の弦を同時に鳴らすと一体どうなるのだろう?思い立ったら吉日とばかりに、彼は親友である亀をばっさりと斬り捨てる。ヘルメスには仲良しの亀がいて、いつも一緒に遊んでいた。いつも亀と一緒に遊ぶなどと書くと、ちょいとおつむの弱い奴かなと思われたりするかもしれないが、もちろんそうではない。なんてったってヘルメスは知性の神なんだ。

 

 それから彼はアポロンの牛を盗み出し、その腹を裂いて腸を取り出し、二本の弦を作ったんだ。その弦を殺した亀から剥ぎ取った甲羅に張り、ほうら、たちまちキタラ(うん、ハープの前身みたいなやつだね)の出来上がりって訳さ。同時に爪弾く二本の弦は見事に調和し、美しい和音を作った。古代ギリシャの時代に書かれた音楽の本を繙くと、その内容はほぼ和音の探求さ。恐るべき緻密さでもって複数の音の調和について解かれている。どうやって研究したのかって?一本の弦の下に駒を立てて、その駒を動かしながら調和を学んだのさ。ピタゴラス肖像画、というよりは似顔絵、うん、粗雑な線で書かれた肖像画、ぱっと見それが誰なのかもよくわからないが、背後にピタゴラスと書いてあるから多分ピタゴラスさ。そのピタゴラスの手元に置かれているもの、それが共鳴箱に張られた弦だ。その装置はモノコードと呼ばれた。

 

 ちなみに親友の亀を何の躊躇もなく斬り捨てるってのは、何しろ死生観、宗教観もまったく違う我々には理解しがたい事だね。ちなみに彼は、これで親友の亀が歌を唄えるようにしてあげたと言っていたらしい。

 

 ところで牛を盗まれたアポロンは非情に怒り、ヘルメスは仕方なしに折角作ったキタラをお詫びに印にアポロンに献上したところ、アポロンはこのキタラという楽器を非常に気に入り、爪弾きながら歌を唄ったらしいが、その歌声はあまりに素晴らしく、草や木はもちろん無機物である石や岩さえも感動のあまり咽び泣いたという。

 

 さて一方、アウロスを手にしたアテナの女神はというと、アウロスの音色を存分に楽しんでいたのだが、ある日、川面に映ったアウロスを吹いている自分の顔を見て大いにショックを受けるんだ。アウロスを吹く自分の美しい筈の顔、その頬がおたふくのように膨らんでいたからさ。さすがは美の女神、自身の醜い姿など到底許すわけにはいかないと、持っていたアウロスを草むらに投げ棄てる。アウロスをその場に棄てたまま、頭から湯気を立てその場を立ち去るアテナの後ろ姿をそっと覗き見ていたのが道化者のサチュロス、半人半獣、上半身が人、下半身が山羊というあのサチュロスさ。アウロスと手に入れたサチュロス、恐れを知らぬサチュロス、うん、こいつは畏れ多くもアポロンに音楽による対決を申し込むんだ。

 

 数日にわたって行われたこの音楽勝負、軍配はもちろんアポロンに上がる。アポロンキタラの音に合わせ美しい詩を吟じたのに対し、アウロスを口に咥えたサチュロスはもちろん言葉を発する事ができない。これはサチュロスにとって致命的な事だと言われている。

この寓話は、当時のギリシャ人が知性を感性よりもより高いものと見ている事を表している。いや、そもそも音楽において知性と感性というものを別々のものとして捉えていたという事がとても興味深く、また重要な事でもある。

 

 結局、戦いに負けたサチュロスは生きたまま皮を剥がれ、その皮は木の枝に吊るされて、風が吹くとアウロスの音を奏でたらしい。それにしても古のヨーロッパの人々はどうして人の生皮をやたらと剥ぐんだろうね。何だか野蛮で嫌だねえ。

 

                                         2023 11 26