通信26-4 かつてギリシャに不死身の天才がいた いや、今もいるのかもしれない

 のっけから尾籠な話で申し訳ないが、私はここ数日、これまでの人生で最も人の排泄物を目にした。もちろん直に見たって訳じゃあない。映像で。Youtubeとかいうやつを利用して。といっても私にそういう趣味はない。必要に応じて。うん、実はトイレ詰まりの解消関連の映像を沢山見たんだ。その理由?もちろん自分の家のトイレが詰まったからさ。久々にブリ大根ってやつを作ってみた。食べ終わり、さて、残った骨をどうしようか?運悪くその夜は、ごみ収集日の次の日だった。次の収集日までは三日を待たなければならない。

 

 魔が差したってやつさ。便器の中に食べたばかりのブリの頭蓋骨、そいつを流してしまったんだ。カリっと嫌な音がした。不吉な予感。もう一度、レバーを押してみると、おおお、行き場を失くしたブリの小骨や小さな肉片が便器の中を勢いよく泳ぎ回っているじゃあないか。まるで下手糞に料理された挙句、真っ黒な腹の中に押し込まれたブリの怨念が、便器の底から噴き出してきたかのようだった。どっと溢れ出して来た水は、ああ、かろうじて便器の縁すれすれのところで止まった。それから少しずつ水が引いてゆく。時折、ごぼっという不気味な音を立てながら。頭蓋骨は?うん、多分便器の裏側あたりに引っ掛かっているんじゃないだろうか。もはやもう一度水を流してみる勇気は起こらなかった。

 

 そこで早速、パソコンを立ち上げる。最近はインターネットの情報に頼る事を憶えたんだ。という訳でうんざりするほどトイレ詰まり解消の映像を見続けた。よしってんで家を飛び出し、訪れたのは近所のホームセンターさ。ええと、何て言うんだっけ、あのでっかい吸盤みたいなやつ。ともあれそいつを買って急いで家に帰る。うん、大したもんだね。空気の力ってやつはさ。あっという間に治ってしまった。という訳で、トイレ詰まりでお困りの方、お気軽に声をお掛け下さい。マサカリを肩に担いだ金太郎のように、でかい吸盤を担いだ私が胸を張ってお伺いします。

 

 虚構に彩られた伝説と、年表に刻まれた史実、真実と事実が入り乱れ、輪舞する古代ギリシャについて自由に思いを巡らせる事は楽しい。そう、ピタゴラス、和音の発見者、この人の伝記がなかなか凄いんだ。教団といおうか、結社といおうか、世の中のすべては数に司られていると信じる者たちが集まった秘密の教団、その教祖がピタゴラスさ。鉄の掟を持つこの集団、造反者は崖から突き落とされたというから凄いもんだね。

 

 このピタゴラスという御人、頭脳明晰である事はもちろん、物凄い美男子だったらしい。しかも矢に乗ってどこまでも飛んでいけたんだって。特筆すべきは、自在に輪廻転生する力があるらしく、前世の記憶を留めたまま次々と、えっと、確か6の三乗年だったっけ、その都度復活を続けているらしい。もしかしたら今もこの世の中のどこかにいるのかねえ?といっても街角で酒に顔を赤くしながら「俺様はピタゴラスだあ」などと叫んでいる奴がいても、本人だという保証はないから近寄らない事をお勧めする。

 

 ピタゴラスは文字の正確さを信じていなかったらしく、ほとんど用いる事はなかったという。著書はみな、弟子の手によるものだ。ああ、なんだかこれもいいね。孔子論語なんてのも何かしら、美学みたいなものを感じるね。「子曰く」ってやつね。もし論語が、例えば、孔子著「俺ならこう言うぜ」ペップ出版、税抜き1280円とかいう本だった私は決して読む事はなかっただろうね。

 

 トイレ詰まりを解消する映像、実は見ているうちにだんだん快感になってゆくんだ。詰まりが取れる瞬間ってのがさ、何とも言えない快感をもたらすんだね。ああ、でもトイレ詰まり解消映像マニアってやつにはなりたくないね。うん、とりあえずその手の映像を見るのはこれで最後にしよう。なんだか危険な香りがする。今、自分の中で、便器を取り外し、ばらばらに分解してみたいという欲求が少しづつ芽生え始めている気がしている。

 

 さてさて音楽史について書いてゆこうと勇んで再開したこのブログだが、早くも与太話の方へと流され始めているぞ。うううん、まあ、元々はそういうブログなんだけどね。

 

                                                                                                                2021. 5. 4.