通信26-3 星は音を鳴らし続けているんだってさ

 「ちまき食べ食べふにゃららら」などと、うろ覚えの歌詞をごまかしながら口ずさみ、ちまきをもそもそと口に運ぶ。昨日、近所にお住まいのお姉さん、和菓子屋勤めのМさんからちまきをいただいたんだ。端午の節句の限定メニューってやつかな。美味しいんだけど、ちまきってこんな味だったっけ?などと思いながらもぐもぐと口を動かしていると、何だか不思議と外郎の味を思い浮かべていた。ともかく食べ終わり、これをもって今朝の朝食を終わりとするってな事で、さあ、昨日の続きを考えよう。

 

 ポエティウスのいう「天体の音楽」。宇宙空間では、実は音が鳴り続けているらしいんだ。星のような巨大な物体がかなりの速度で運動しているのに、音を発しない訳がないじゃないか、ただそれらの音が自分たち人間の耳には達しないと、どうもそういう事らしい。古代ギリシャの音階を構成する七つの音、これらはそれぞれ太陽を中心とした七つの惑星との関係に対応すると説明されている。土星E、木星F、火星G、太陽a、金星b、木星c、月d。ところがこれには異論があって、そちらでは大地、月A、水星B、金星C、太陽D、火星E、木星F、土星G、天空a、と記されている。理由としては、月は回転が遅く発する音は非常に低い。また大地は不動であるので音を発しないなどなど。もちろんまだ地動説の時代の事だ。これを読んだ時の私?もちろんぽかんと口を開けていただけさ。

 

 ともあれポエティウスのこれらの考察から、真の音楽家とは何かという結論を導き出す。彼が記すには、音楽家は音楽を理性的に理解していなければならない。音楽家には三種類があり、楽器を操る者、歌を作る者、演奏や歌に対して判断を下す者の三つだ。楽器を操る者は、手技に頼るので音楽家とは言えない。歌を作る者も理性よりも直観に頼っているのでやはり音楽家とは言えない。音楽に対して判断を下す者こそが、理性の力によって、リズムや旋律など、作品そのものについて正しく判断する事ができるので、これこそが真の音楽家という訳だ。つまり思考の器としての音楽が、強く意識されていた事がわかる。 

 

 一方でギリシャ名物とも呼びたい、酒を飲んでのどんちゃん騒ぎを彩る音楽が存在していた事も事実だ。ちなみにかのプラトン先生は、この時代のどんちゃん騒ぎをかなり不快に思っていたようで、プラトン主義者として知られるポエティウスの著書にはプラトンからの影響が強く反映しているのだろう。ともかく、この考える音楽と、耳の喜びとしての音楽の対立はこの後、中世まで論じられ続ける事となるが、私はもっと後の時代、現代までも続いているとそう感じている。

 

 ところで神話の中で語られる、ヘルメスによる音の調和の探求、これは現実ではピタゴラスによってなされる。ポエティウスの著書の中でも和音の発見者として記されるのが、この天才というか怪物というか、数学者ピタゴラスだ。

 

 ある日、偶然に鍛冶屋の前を通りかかったピタゴラスは、数人の鍛冶屋が振るうハンマーの音に心地よいものとそうでないものの違いに気づく。つまり槌音が互いに協和するものとそうでないものの二種類がある事に気づいたんだ。そこで鍛冶屋たちのハンマーを並べてみるとその重さの数比の関係によって協和、不協和の音程がある事を知る。ちなみに重さによって音程が変わるというのはピタゴラスの勘違いで、実際は形状によるものだが、素材が同じならば形状によって重さが変わるのだという事でその事は説明できる。

 

                                            2021. 5. 3.