通信26-5 アテナイの女神は葦笛を吹くとおたふく面になったらしい

 人にはそれぞれ、秘かに噛み締める自分なりの喜びがあるのだろうが、今日の私にとってのそれ、それはトイレが普通に流れる喜びだ。それにしてもあの詰まり解消用の大きな吸盤、うん、まったく大したもんだと感心している。そういえばその吸盤って他に何かいい使い道はないんだろうか。そうだ、いっそ武器として使ってみようか。殺傷能力は著しく低そうだが、相手に強い心的ダメージを与える事は出来ると思う。

 

 数日前に書いたギリシャ神話、アテナイの女神がアウロスという楽器を作る話。実はあの話には似て異なるヴァージョンがあるんだ。ゴーゴン三姉妹の末娘であるメデューサ、実は彼女は、元々は美しい人間の娘だった。その美しさ故にアテナイに嫉妬され、罰として髪の毛を蛇に変えられてしまう。アテナイは彼女に、その姿を見たものを石に変えてしまう力と、おぞましい叫び声を与え、冥界への入り口の番人にしてしまう。その恐ろしい声、それは知性というものをはるかに越えていて、そのまま死の声、冥界の深い恐ろしさを表す声だった。

 

 アテナイの女神はその声をそのまま楽器で再現しようと思い、アウロスという葦笛を作る。ところがアテナイがその楽器を吹くと、たちまち顔が醜く歪み、そのおたふくぶりを他の神々に嘲られてしまうが、別の資料によると、アウロスを吹くアテナイの顔はメデューサにそっくりになってしまうとある。知の神であるアテナイではあるが、知を越えようとするとやはり罰を受けて醜い貌になってしまうという喩えだろうか。

 

 頭に来たアテナイはアウロスを捨て去ってしまうが、そのアウロスを拾ったのがマルシュアスというお調子者だ。マルシュアスは半人半獣、人間と山羊のあいの子だ。もはやアウロスを吹いたところでさらに醜くなる訳でもなかった。この後、マルシュアスはアウロス片手に、アポロンに音楽対決を申し込み、負けた挙句、生きたまま皮を剥がれるという散々な目に遭うが、その話はまたいつか。ともかく音楽の探求により調和を知る事の重要さを唱えたギリシャ人は、また一方で知性を越えた音楽の存在を信じていた。

 

 このアウロスという楽器と深く結びついているのがディオニソスに対する信仰だ。とてつもないどんちゃん騒ぎで有名なディオニソスの祭り。あらゆる打楽器を打ち鳴らし、飲んだくれ(ディオニソスの別名をバッカスという。あの有名な酒の神さ)、トランス状態になる事で神と一体化するらしい。

 

 古代ギリシャにはいくつもの音階が存在したが、それはドリア、フリギア、リィディア・・・など、それぞれの部族の名前で呼ばれていた。それぞれの音階は人の心身に強い影響を及ぼし、それは治療にすら使われたらしい。その中でドリアの音階は知性に働きかけ、またフリギアの音階に触れるとたちまち興奮状態に陥ったらしい。これに関してはなかなか面白い逸話が残っている。

 

 ある時、フリギアの音楽に酔って興奮した若者の集団が、暴徒となって美しい少女の家に押し入った。たまたまそこに居合わせたピタゴラスが、急いでドリアの音楽を演奏すると、暴徒はたちまち我に帰り、反省の言葉を口にしながら去って行ったというものだ。

 

 ちなみに最近、言われているドリアもフリギアも中世の教会旋法であって、このエピソードに出てくるギリシャの音階とは異なっているので、暴徒の前で演奏したところで効果を望む事はできないだろう。その点くれぐれもご注意を。

 

 理性的とされる弦楽器と深く結びついたオリンポス信仰、それに対しアウロスに表されるディオニソス信仰、これらの対立はそれ以降の時代にもさまざまに形を変えたヴァリエーションとして存在し続けているのではないかと私自身は思っている。それらをしっかり見据える事、それが私にとっての音楽史に関わるおおきな意味の一つなんだと、そう思っているんだ。

 

 ちなみに古代ギリシャでは、アウロスを演奏できるという事が高級娼婦の条件だったらしい。高級娼婦の事を「アウロス吹き」と呼ぶ、というような事をどこかで読んだような記憶がある。

 

                                           2021. 5. 6.