通信26-7 ロールプレイングゲームって知ってる?

 最近、ロールプレイングゲームなるものが世に中にある事を知った。大辞林によると自分自身が主人公となってゲームの中の世界に入り込んでゆくものらしい。元々、ゲームというものにはほとんど興味がない。あれこれと教えてくれている知人の話を、虚ろな目をして適当に聞き流していると、この私も一度だけそのロールプレイングゲームとやらをやった事があるよと教えてくれた。えっ?いつ?どこで?

 

 もう三十年以上も前の事、知人の家で、私は大いにそのゲームにのめり込んだという。とってもパソコンも持っていない私だ。その知人の家にいる間の一二時間ほど、ゲームの世界に浸り込んだらしい。いったいそのゲームとは?えっ?ねじ式?おお、一気に記憶が蘇った。うん、憶えがある。そうか、あんなのをロールプレイングゲームというのか。

 

 ねじ式。もちろんあの天才漫画家、つげ義春先生の初期の代表作さ。そうだ、確かに若かった私は、つげ義春氏の世界に入り込んだ嬉しさで、舌をだらりと伸ばし、犬のようにはあはあと息をしながら、慣れない手つきでキーボードを弄繰り回していた事を思い出した。

 

 といっても当時のパソコンなんて玩具みたいなものさ。画面に現れるキャラクター、人間だって、犬だって、猫だって、うん、ともかくドット数が今とは比べ物にならないぐらい少なかったんだ、皆角ばっていて、そうだね、レゴで作られた人形みたいな感じだったね。パソコン本体だってブラウン管のテレビにキーボードを繋いだようなやつ。皆、パソコンに飽きるとテレビとして使っていた。ああ、素朴な時代だねえ。

 

 ちなみにそのゲームの持ち主であるT君は、バイト先で知り合った人妻と恋に落ち、そのまま兵庫県まで駆け落ちしたが、旦那に見つかってぼこぼこにされ、それでも負けずに再度、手に手を取り合って逃げ回り、とうとう結婚までしてしまったという猛者だ。

 

 何故突然そんな事を思い出したのかというと、これまた数日前に知ったんだが、そのロールプレイングゲームの中に、自身が主人公となって中世の街で闘いながら進んでゆくというものがあるらしい。いや、中世だけじゃあない、さまざまな時代を自由に設定できるんだって。かなり精密な監修の元に作られているらしく、街の情景などがかなりリアルだという。

 

 うん、その話を聞いた時、思わずにんまりと笑ったさ。私のように頭の悪いタイプの人間が歴史を勉強するなら、やはりまずは「見る」事に始まると思っているんだ。見て、イメージをどんどん膨らます。うん、良いねえ。まずは想像するって訳だ。

 

 という訳で、資料のない古代ギリシャから、すたこらさっさと逃げ出した私の頭は、中世へと向かっている。じゃあ中世に行くと資料が増えるってのかい?いや、その点も絶望的だね。キリスト教がすべてを引っ張っていった時代、キリスト教に作られた音楽の資料なら数多く存在するが、私が本当に知りたいのは教会の音楽じゃあない。街中の音楽さ。いや、街を囲む城壁の外側で生まれた音楽とでもいうべきか。

 

 プラトンも、アリストテレスも、口を揃えて言っている。一般市民は職業音楽家になるべきではない、音楽をそこそこに楽しむべきだと。職業音楽家になる、それは当時においては奴隷階層に身を落とす事に他ならない。でも私が知りたいのはそこさ。彼らがどのような音を奏で、どのような暮らしをしていたのか。もちろんほとんど資料はない。でも教会の音楽を詳しく調べてゆく事で、何とか彼らの姿を幻視できないだろうか。それが今の私の課題だ。

 

 ところでゲームってどこに行けば売ってあるんだろう。交番に行って「ロールプレイングゲーム屋はどこにありますかな?」などと尋ねても、「はいはい」と追い出されるだけだろうね。ああ、誰か詳しい御方がおられたら、この痴呆老人に知恵を貸して下さらないだろうか。

 

                                                                                                          2021. 5. 11.