通信23-8 清書にはいりまあす

 仕事場の閉鎖が延長になったのを機に、新しい連作集をと思い立ち、さくさくとスケッチを取り始めた私だが、おいおい、ちょっと待てよ。それ以前に絶対にやらなきゃあならない事があるだろう。そうさ、「ホルンとチェロとピアノの為の三重奏」、いい加減そいつを書き上げろよ。

 

 そうだね、一曲を一時間ほどで書き上げるピアノの小品と違って、数日を食い潰す、ちょいと重めの曲、そいつに取り組むにはいささか勇気がいるってんで、何となくごまかしの日々を送っていたんだ。「もうちょっと体調がいい時に取り組もうかなあ」、「明日、晴れたら書こうかなあ」、「明朝、茶柱がたったら筆を取ろうかなあ」・・・などと嘯いてさ。

 

 もう全体像は頭の中にできている。後は即興で色をつけながら紙に落としてゆくだけさ。作曲という行為は、割と誤解されているんだが、そうさ、あくまでも即興なんだ。即興の余地を充分に残したゆるい構想、うん、その構想はもうできている。今、書かなきゃあ、このすっかり実った果実みたいな構想、木の枝にぶら下がったままあっという間に腐って、そのまま地面に落ちてしまうぜ。

 

 よしってんで、私のような怠け者の尻を叩いてくれるのは、締め切りというものに見放された私にとっては「自らの宣言」、うん、それしかないんだ。早速、我が心の聖マルグリットことМさんに「これから清書にはいりまあす」という旨のメールを打って、「ならば自身を恐れずしっかり頑張れ」というような意の返信をいただき、さあ、もう逃げ場はない、ほうら、かちかち山の狸みたい、背負った薪に火が付いたぞ。

 

 ああ、久しぶりの、うん、十数年ぶりさ、本気で曲を書くんだ。胃が、くそったれ、緊張できゅうっと縮み上がっているじゃあないか。ホルン三重奏。ああ、難しいねえ。われわれは作曲する上で、シンメントリーという事を重視しているんだが、ピアノという背景の前で、ホルンと言う信号音を発するために作られた楽器と、チェロというどっぷりと音楽を表現するために作られた楽器の間にシンメントリーを拵えるのはなかなか難しいんだ。

 

 まあ、あんまり手の内を晒すのも利口ではないし、そもそもこんな事をぐずぐず書いていてもしょうがない。それにしてもコロナウィルスに押し出されて、完成した曲なんて人様に聴いていただくのも申し訳ない気がするね。何かそれらしい別のストーリーを考えておかなきゃあならないね。「コロナ三重奏」などという綽名をもらうのは真っ平だしね。

 

                                                                                                             2020. 4. 2.