通信23-4 幽霊の正体見たり枯れ尾花

 朝、突然ご近所にお住いのМさんからメールをいただいた。多分通勤の途中でその風景を目にされたんだろうね、いつも渡る橋の下にパトカーや消防車が群がっているとの事。それでは眠気覚ましに早速行ってみますという返信をしたが、うん、どうやらМさん、この私が老体を川の中に落っことしてしまったんじゃないだろうかなどといらぬご心配をなさったらしい。

 

 それにしても何故、私が?コロナ失業を苦に、飛び込み自殺でも、などと思われたのか?うん?そういえば消防車まで来ていると?コロナ失業を苦に、焼身の上、さらに投身?いやいや、そんな恥の上塗り、滑稽の二段重ねみたいな事はしない。そもそも面倒臭いじゃあないか。

 

 そういえば一度だけ川に身を投げようかという気持ちが頭を掠めた事がある。数年前、心臓を悪くし、とうとう生きているのか、死んでいるのか、自分でも判断が付きかねるようになった私は、ほとんど動かなくなった足を鞭打ち、よろよろと病院に向かったんだ。川沿いのガードレールに縋りながら、歩を進める内に、切れかけた電球みたいに明滅する意識の中、もしこのまま道でくたばり、汚い遺体を人様の目に晒すぐらいなら、最後の力を振り絞って川に落下しようと思った。優しく大らかな川の流れは、この汚い死骸を博多湾まで無事運んでくれるだろうさ。

 

 まあ、そんな事はどうでもいい。私がその橋に着いた時には、パトカーや消防車の影もなく、まったく普段の状態に戻っていた。拍子抜けしたものの、折角朝から家を飛び出したのだから、散歩でもしてみようかという気持ちになったんだ。

 

 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」などといういささか滑稽な句があるが、たまたま開店直後のスーパーマーケットの前を通り掛かった私は愕然とした。何と大量にトイレットペーパーを抱えた何人もの老人たちが次々と店から出てくるんだ。おお、これが噂の買い占めってやつか。実は私も最近は困っているんだ。うん、トイレットペーパーというやつが買えなくてさ。トイレットペーパー売り場、いつ行ってもそこの棚だけががらんとしていて、隙間風が虚しく吹き抜けている。おいおい、一体どうしたってんだ、トイレットペーパーを食い尽す妖怪でもいるんじゃあないのか。そうさ、百鬼夜行さながら、大量の紙を抱えて目の前を通り過ぎる老人たち、彼ら彼女らがその妖怪の正体なんだ。

 

 それにしても印象深いのは、その老人たちには不思議な高揚感、達成感が漂っているんだ。まるで勤行でも終えたばかりのようないささか誇らしげな疲労感すらも感じる。老人ってのは不思議なもんだねえ。いやまてよ、この私だって十分に老人だぜ。ああ、でも、私もお仲間に入れて下さいとは言いたくないねえ。もちろん向こうだって私のような中途半端な老人を仲間に加えるのは真っ平だろうけどさ。

 

 そういえば、ほぼ毎朝、幼稚園に行きたくないと町内じゅうに響き渡るような大声で泣き叫ぶガキが近所にいるんだが、そいつの顔を始めて見る事ができた。すっかり疲弊したような若い母親の隣で、泣き喚くそいつはダウンタウンの浜田某によく似たガキだった。

 

                                                                                                                2020. 3. 24.