通信23-5 こんな時は「デカメロン」など読み耽りたい

 ようやく百枚ほどの原稿を書き上げた。酷く目が疲れた。ああ、私の眼球は五分の一ほどに縮んでいるんじゃないだろうか。それに何だか指もぐにゃぐにゃになってしまった。そういえばちょいと怪我した左手が、どらえもんのように真ん丸に腫れ上がり、まる一日キーボードが打てなかったんだが、ようやく腫れも引いて元の貧相な手にもどりつつある。

 

 百枚の原稿を上げたのなら、普段ならぱあああっと明るくなって、プールに飛び込むように酒に飛び込むんだが、今回そうならないのは、うん、スタジオが閉鎖になって生活の不安にどっぷりと漬かっているからだろうね。

 

 スタジオの閉鎖。という訳で二週間ほど楽器に触っていないんだが、でも悪い事ばかりじゃあないさ。実はこの冬、ドケルバン病を患ったんじゃないかと秘かに思っている。初期のドケルバン病には休息以外の有効な治療法はないと言われているが、私はこの休息というのがともかく苦手なんだ。どうしてもじっとしていられない。そんな私にとって、スタジオの閉鎖はある意味有難い事かもしれないな。ああ、スタジオが再び開いた時に、私の親指が完治している事を祈るばかりだ。

 

 それにしても何やら気持ちが塞ぐじゃあないか。もし、目が悪くなければ、そうだね、こんな時には「デカメロン」でも読み耽りたいね。「デカメロン」、1300年代の前半、フィレンツェでペストが大流行した折、三人の紳士、七人の淑女が市街を見下ろす丘の上に豪邸に籠り、そこでペストなど吹き飛ばそうと、十日の間、強烈なエロ話を次々に披露しあうという内容の小説だ。十人が一夜につき十話を十日間、つまり合計百話が収められている。私が中学生か高校生の頃に映画化されていたが、確か成人映画の扱いじゃなかっただろうか。

 

 さて原稿は書き上げた。スタジオは閉鎖中。そんな中、私がこれから何をするかというと、うん、ピアノの小品をともかく書けるだけ書いてやろうと思っているんだ。数日前、我が心の観音菩薩、いやいや、観音菩薩はよくないね、彼女は敬虔なクリスチャンなんだ。そう、我が心の聖マルグリットことМさんにお誘いいただき、シューマンピアノ曲を聴きに行ったんだ。

 

 ああ、まいったね。まるで万華鏡さ。ちょいと傾きを変えると全く違った模様が次々に現れる魔法の鏡。うん、そいつを覗いてるみたいにさ、すっかり翻弄されてしまったんだ。次々に繰り出されるシューマンの語法の多彩さにね。

 

 語法の獲得、ともかく言葉を増やさなきゃあしょうがない。何とか今秋、チェロ協奏曲に取り掛かる前に少しでも音楽言語、そいつを増やしておかなきゃあ話にならないね。私が大きな曲を書くと、どうしてものっぺりしたものになってしまうんだ。作品における退屈、うん、そいつは大いなる罪悪さ。

 

                                                                                                             2020. 3. 30.