通信26-9 ロールプレイングゲーム温厚な旅の老人版は存在しないのだろうか

 スタジオが閉鎖されてから再び強いられた自粛生活。うん、幼稚園に入る前の生活。そんな生活だが、それでも次第に生活のリズムってもんが出来てきた。日々の中心にどしんと鎮座するそいつは、もちろん新曲を書く事さ。大まかに輪郭を作るために粘土を捏ねるように、作品の枠を頭の中でなぞり続けている。その事に疲れると、自分の頭の中に何の脈絡もなく広がっている音楽史をきちんとまとめようと、何がしかの資料にあたる。さらにそれにも疲れると、こんな風に馬鹿な文章を書こうとパソコンに向かい、さらに疲れると飯を食ったり、布団に潜り込んだりする。時折は微熱を測り、体温計の無事を確認もする。

 

 いやいや、こんなのがリズムのある生活と言えるか?ただの行き当たりばったりな暮らしぶりじゃないか。そういえば幼稚園に入る前の私の生活にはリズムがあったのだろうか。憶えているのは、朝起きると、そうだね、相手は誰でも良かった、ともかくその場に居合わせた誰彼に向かって、見てきたばかりの夢の話を延々と続けていた事だけだ。それ以外の記憶は殆どない。ああ、もしかしたら夢語りという行為に、私の才能ってやつがあったのかもしれないね。いっその事、フランスのシュールレアリスト詩人デスノスのように見てきた夢を語り続けるのが仕事だという人になれば良かった。いやいや、デスノスは毎日二十三時間眠り続けたそうだぜ。私の弱々しい背中はたちまち床擦れで真っ赤になってしまうだろう。

 

 ところで詩集「水の流浪」の作者、金子光晴はパリ遊学中、藤田嗣二の家に居候していたらしいが、藤田の家にはいつも寝てばかりいるデスノスとかいう変なやつがいたと、どこかに書いていた。それを読んだ私は、何故だか可笑しくてたまらなくなり、声を上げて笑った。

 

 秋月城にお住まいのМさんに、ロールプレイングゲームの事を訊ねてみた。ロールプレイングゲームを実施するにはPS4とかいう特殊な機器を使う必要があるのでは、という不穏な噂を小耳に挟んだからだ。Мさんが仰るには、とりあえずYouTubeで、知りたいゲーム名を検索すると、ゲーム実況をとかいう動画でそのゲームの内容が見れるかもしれないとの事。

 

 へええええってんで早速検索をしてみると、おおお、ざくざくとヒットするじゃあないか。当てずっぽうで適当に動画の一つをクリックしてみる。ええ・・・、私は一瞬にして固まった。確かに精密な背景が画面一杯に並んでいる。街並みからすると、ううううん、1400年から1500年あたりのイタリアかなあ。いや、それはいい。問題は人物だ。主人公?そいつは殆ど屋根の上でしか活動していないんだ。しかも屋根の上にはすでに人がぽつぽつと立っていて、挨拶がてらにそいつらを次々と蹴り飛ばしたり、刀で切り掛かったり、一体何なんだよ、この乱暴な主人公は。おいおい、もしかしてゲームを始めたら私がこの主人公になり切らなければならないって訳かい?何が悲しくて、今更この齢になって猿飛佐助まがいの事をしなけりゃならないんだ。

 

 私の勝手な想像の中のロールプレイングゲームは、ゆったりと街中を歩きながら「やあ、これが噂のサン・ピエトロ寺院かな、ほっほっほ・・・」などと、BS放送の世界街歩きとかいう番組みたいに優雅なものだったはずなのだが。そういえば別の知人がロールプレイングゲームには、PS4とかいう謎の機器を使わないで済むパソコン版もあるが、それはたいそう高スペックなパソコンを必要とすると教えてくれた。なるほど、この画面の精緻さ、人物の動作、BGMなどから察するとなるほどと首肯できるね。

 

 ところで屋根の上で出会ったやつらに、こちらから攻撃を仕掛けなかったらどうなるんだろう。たちまちこちらが斬り殺されてしまうんだろうか。それでゲーム終了って事になるのかねえ。拝み手をしながら「ちょいと御免なさいよ。無害な旅の老人でございますよ」などと呟きながら、屋根の上をひたすら歩き回る機能がついていれば、それはそれで良いような気がするんだが。

 

                                                                                                              2021. 5. 15.