通信24-5 三ヶ月ぶりに楽器に手を触れる

 

 伝染病騒ぎで毎日使っているスタジオが閉鎖になったのが三月の中頃。再びその扉が開いたのが六月のやはり中頃。つまり三か月ほども楽器に触れなかった事になる。若い頃ならいいさ。ああ、でもこの歳になって三か月の中断は致命的な事に思える。三か月も楽器を弄らなかったのは初めてなんだ。

 

 スタジオが閉鎖になったばかりの頃、そいつが再開されるのをわくわくと夢見ながら待った。「ブルックリン最終出口」という私が最も好きな映画の一つ、そのラストシーン、ストライキで長らく閉鎖されていた工場、久々に始業のサイレンが鳴り響き、穏やかな笑みを浮かべた労働者たちが次々に工場の門をくぐる・・・。

 

 再びスタジオが開いたら、うん、私も心を躍らせながら地下へと続く階段を降りるだろうと、そんな希望に胸を熱くしたのも一月ほどの間さ。三月、四月・・・もう六月を迎える頃には、すっかり気持ちがくたびれて、何だかもう、どうでもいいというような気持ちになっていた。

 

 六月の最初だっただろうか。スタジオのお姉さんから電話を貰った。来週からスタジオが再開すると。ずっと心待ちにしていた連絡だったが、実際受けた心は冷ややかだった。一気に伝染病が広がりだした時の緊張感はもうなかった。われわれと伝染病、それはもはや疲れ切った老夫婦のように不思議な感じで凭れ合っていたんだ。

 

 三か月ぶりに鳴らした楽器。まず感じたのは「うるさい」という事だった。掻き鳴らすピアノの音が、吹き鳴らすサキソフォーンの音が、私の空っぽの頭の中でぐるぐると渦巻いた。えっ、楽器の音ってこんなに馬鹿でかかったっけ?ともかくよたよたとよろめくように、最も初歩的な練習からやり直した。ゆっくり音階を繰り返す。体の一つ一つの動きまで点検しながら。ああ、これもなかなかいいもんだね。これまで日々の繰り返しにまぎれ、聴こえなかった音が聴こえ、見えなかった景色が見えてくるじゃあないか。得難い体験ってやつさ。うん、もう二度と得たくないね。

 

                      2020. 10. 4.