通信27-13 夏の思い出

 ぼんやりと親指でもしゃぶりながら、あの頃の自分は何していたっけ?などと考えてみると、様々な記憶がじわじわと蘇ってくる。十五年ほども前に作られた、かろうじてネット上に取り扱い説明書が残っているような古いヴィデオカメラを買い込み、動画動画とはしゃいでいるうち、ふと思い出したのは今年の初夏の事、そういえば石原まりさんの主導でレッスンの動画を作らなかったっけ?いや、確かに作った。うん、あれは夢じゃないぞ。

 

 結構な難曲、そうだバッハのヴィオラダガンバの為のソナタベートーヴェンソナタ、ええと、それからそれから・・・そうだプロコフィエフソナタブラームスソナタ、おお、凄い、ソナタの大盤振る舞いってところだね、ともかくそれらをテキストに、色んな庇をお借りして動画を撮ったはずだ。あれ、一体どうなったんだろうね。もしかしてボツネタって事になったのかな。まあ、そうだね、明らかに呆けが始まった爺が何やら口の中に飯粒でも詰め込んだみたいな滑舌の悪さで、むにゃむにゃと喋っているだけの動画だもんなあ。まあ、いいか。

 

 でもそれぞれの時代を代表するソナタを並べて勉強する機会を得た事は大変有難かった。作曲するって事は新たな形式を作ってゆく事だと、その大切な事実を改めて確認したんだ。しかも実際に音を出しながら。うん、確認というよりも体験する、まさにそんな感じだね。これはその数か月後に書いた四重奏に大いに役立ったと思っている。

 

 そういえばその頃、石原まりさんのリサイタルがあって、私はその数日前から寝込んでしまい、申し訳ないと思いつつ顔を出すのを諦めたんだ。伝染病?いやいや、私は流行には疎いんだ。流行りの病気には縁がない。強度の頭痛と眩暈、うん、病気としては古典的なやつさ。枕に頭を埋めて不貞寝の日々を過ごしたんだ。

 

 それから少し体調が上向きになると、ほうら、そわそわ、むずむず、新曲のスケッチを採るなどと嘯いて青藍山の仕事場に潜り込んだ。そこで大人しく仕事をしていたのかって?いやいや、なぜか浮かれついでに平戸まで足を延ばしている。しかも平戸大橋を歩いて渡るなどという、いきった中学生でもやらないような馬鹿な事をしてしまった。渦巻く海峡を見下ろしながら、時折通り過ぎるトラックの風圧に嬲られ、よたよたと橋を渡るとほうら、縮み上がるものはすっかり縮み上がって、まさに這う這うの体とはこの事だと顔面蒼白、すっかり涙目で橋を渡り切ったんだ。

 

 結局、青藍山で新らしい四重奏の下書きをという思いは、滞在費が底を尽くという情けない理由から実る事なく、幾つかの音の断片を書きつけたノートを土産にふらふらと博多に舞い戻ったんだ。まあ、いいさ、それから部屋に閉じこもり、まさに火事場の何とやら、ともかく満足のいく仕事ができたんだ。眩暈と頭痛はしっかり私の体の一部となって残ったが、それでもなぜか朗らかな、清々した気持ちで過ごしているんだ。

 

                                                                                                              2022/ 11/ 10.