通信25-3 ゆれる日々

 ようやく布団から這い出してみた。うん、起きなきゃあならない。ここ数日、眩暈が酷くて布団を棲家としていた。ああ、布団の中ってのは天国だね。確か吉行淳之介の小説じゃなかったっけ?病気の少年が布団の中で自分の事を布団の国の王様だと空想するのは。そうだね、私もこのちょいと湿気た貧相な王国の国王としてここ数日間、ゆらゆらと眩暈の中を揺れながら君臨したんだ。ゆらゆら、うん、考えようによっちゃあなかなか気持ちがいいもんさ。「ゆりかごから墓場まで」とかいう言い回しがあるが、私の場合、「ゆりかごからゆりかごまで」ってな具合になるのかね。

 

 ともかく机に向かってみる。明日は久々にちょいと重たいレッスンがあるんだ。コンサート用のプログラムを弄らなきゃあならない。プロコフィエフルーセル。うん、いいね。レッスンってのはこうでなくっちゃ。ただこの二人の曲を扱うとなると、やはり五時間は欲しいんだが、二時間ちょっとでまとめて欲しいというご要望だ。ならば、やはりちょいとした企みを持って挑まなきゃならないんだ。

 

 よし、お勉強でもしておくかってなもんだが、何しろ譜面も持っていないし、もし持っていたとしても、眩暈からくる目の翳みでろくに読む事もできないだろう。ただ記憶に寄り添って、自分の中にある音を聴こうと、じっと耳を澄ますだけさ。

 

 そういえば昔、指揮をしていた頃も、譜面を見るという事はあまりしなかった。ただ自分の内側で鳴る音に耳を澄まし、その音を積み木さながらに積み上げては崩し、また積み上げる、その作業をひたすら繰り返すだけだった。そんな事を思い出しながらピアノに向かってそれらしいコード連鎖をぱらぱらと弾いてみる。二人ともカデンツに特徴があるからね。その癖を何となく掴む事ができれば何とかなるもんさ。プロコフィエフルーセルを皆が思っているほどに複雑な構造を持っている訳じゃあない。

 

 このプロコフィエフという男は随分と気儘な人間だったらしい。一旦ソ連を亡命して、また晩年にはソ連に舞い戻っているぐらいだからね。まだサントペテルブルグ音楽院の学生だった頃、ふざけた答案を提出したプロコフィエフに対し、担当教官だったリムスキー・コルサコフが教壇の上でその答案用紙を突き返した時、彼は振り向き、大袈裟に両手を広げたまま、居合わせた全員に向かって「じじいが怒った」と叫んだそうだ。ああ、何というクソガキぶりだ。

 

 そうだ、明日はレッスンが終わる夕方頃、近所のお姉さんからお散歩に誘われているんだ。うん、少しは体を動かさなきゃあならないってんでね。ああ、有難いもんだ。それにしてもお姉さん、こんな死にかけた老人と歩いて面白いんだろうか?多分、大いに奇特な御人なんだろうね。奇特な御人が危篤な老人と連れ歩くって訳か。まあ、それも有りかな。

 

 それにしても何という下らない文章。眩暈の中で書けるのはせいぜいこれぐらいだろうが、うん、でもいい目覚ましにはなったね。ほうら、頭の中ではじわじわとルーセルの響きが鳴り出したぞ。

 

                                                                                 2020. 12. 9.