通信24-42 さあ明日は楽しい検査だね

 七月から月に一度の割合で、石原まりさんのインスタグラムにお邪魔してお喋りを楽しんでいる。うん、お喋りは確かに楽しいが、とりあえず後二回、来年の一月でお終いという事にしてもらった。やはり体が持たない気がするんだ。自分がそうなってみて初めて分かったんだが、病気ってやつはともかく人間から集中力ってものを奪ってゆく。

 

 集中力に欠けた、薄ぼんやりとした姿を人様の前に晒すってのは何やら辛いもんさ。そのうちお喋りの最中に、たらりたらりと口の端から涎を垂れ流したり、クシャミと共にすっぽおんと入れ歯を飛ばさないとも限らないからねえ。それで、ああ、申し訳ない、また引き籠り作曲老人に逆戻りしようと決めたんだ。

 

 それにしてもこの半年間は本当に面白かった。それまでまったく一面識もなかった石原まりさんには、尻を蹴飛ばしていただいて心から感謝している。実は自分が誰かに尻を蹴飛ばして貰わない限り、うんともすんとも動かない人間に成り果てていた事がよく分かった。でも同時に、上手く尻を蹴飛ばしていただければ、少しぐらいは動けるという事も分かったんだ。

 

 ともあれ後二回、うん、切りは良いんだ。音楽史には百五十年周期説ってのがある。1450年から1600年までがルネサンス期、1600年から1750年までがバロック期、1750年から1900年までが古典、ロマン派期、それ以降が現代ってなもんさ。古典、ロマン派期に有名な作曲家たちが多く現れたため、その期間も長いと思われがちだが、実は長さの面ではバロック期とさして変わらない。古典期とロマン派期を二つに分けて考える人が多いが、私個人はその必要は感じていない。来月のお喋りでは「和声の時代」として一纏めにしてしまおうと思っている。

 

 ところで今、少しだけ暗い気持ちになっている。ああ、明日は病院で検査を受けるんだ。最近は心臓が早鐘のように鳴ったり、そうかと思ったら牛歩のようにのんびりと動いたり、まったくどうしようもない体たらくってのはこういう状態をいうんだな。今朝も朝から楽器をさらったんだが、練習の終わり間際になって、ふと意識が遠ざかりかけたんだ。あれれれっと蹲り、自分を覆っている黒雲のような嫌な空気が通り過ぎるのをじっと待つ。幸い今朝はさほど痛みがなかった。

 

 痛み、うん、一旦そいつらが押し寄せてくると一気に体中が大騒ぎだ。左の胸を中心に、鎖骨、肩、首筋、歯、目、そしてもちろん頭、そいつらが一斉に、ぶるぶるぶるると震えるように痛むんだ。りりりんりりんと音を立てて震えるさまは、ああ、まるで自分が安物の目覚まし時計にでもなったみたいだね。うん、その滑稽さ、もちろんそいつは私にとって大いなる救いってなもんさ。

 

 さあ、明日の検査、いやいや、そんなに憂鬱な事ばかりじゃあないぜ。ほら、綺麗な看護婦さんに注射の針でちょいと突っついていただき、可愛らしい小鳥が囀るような声で「ちくっとしますよお」と囁かれ、ねっ、悪い事ばかりじゃあないだろう。うん、そうだね、そいつを楽しみに、よし、今夜は血液検査に備えて張り切って絶食をするんだ。

 

                                                                                                        2020. 11. 25.