通信21-1 長い旅の記憶 1

 旅なんて面倒臭いものは嫌いだ。それでもよく旅をした。時には思いがけず長い旅になる事だってあった。いや、もしかすると私は今も旅の途中にいるのかもしれない。何しろ自分が収まるべきところに収まっているってな感じが少しもしないんだ。

 

 当てもなく街を散々歩き回り、ふらふらに疲れた挙句、ようやく帰り着く自分の部屋、うん、とりあえずそこに帰れば布団に潜り込む事ができる。或いはめちゃくちゃな空腹に襲われ戻ろうとする部屋。確か電気釜の中には冷や飯が残っていたはずだ。そうさ、私の部屋、でもそこは煎餅布団と冷や飯が置いてある安宿に過ぎないんだ。

 

 二十代の後半、仕事にも、人間関係にも、何もかもにさ、すっかり行き詰ってしまった私は長い旅に出た。およそ十年ほども続いたその旅。旅といったって別にホテルだの旅館だので暮らしていた訳じゃない。アパートも借りたし、旅の途中で引っ越しもした。しばらくの間、家なき子として路上で暮らした事もあるし、山奥の自動車工場の寮で刑務所帰りのホモと、肛門の貞操を守りながら半年ほどを過ごした事もあった。うん、まったく何から何まで悪夢みたいな旅だったね。ともあれ旅の途中の私は大いに笑った。私の笑うツボってやつは、どうやら世間様とはちょいと違うあたりにあるみたいなんだ。自分自身が嫌な目に遭うと、たちまち笑いが止まらなくなる。うん、それがさ、自分の大間抜けな姿がさ、面白くてたまらないんだ。

 

 別に「そこ」でさえなければ、どこでもよかったんだ。二十代も後半に差し掛かった私は、ともかく「そこ」から離れるために電車に揺られていた。たまたま投げたサイコロの目によって進む、双六とかいうゲームのように気ままだった。

 

 関西に行ってみたが、その地方は初めてだった。初めての土地、何よりそれが大事な条件だった。何もかも知らないという事がさ。ともかくその誰でもが潜り込みやすい街、そこに私も潜り込んだ。最初は三角公園とかいう、その筋の「名所」、そこに入り込んだんだ。徐々にその地方に慣れようと、飛び切り安い宿、当時一泊五百円もしなかった蚕棚の呼ばれるベッド、一部屋に三段ベッドが四つ、合計十二人が泊まれる部屋、そこに入り込んだ。そうしてその蚕棚を拠点に、住みやすそうな街を探して回る事にしたんだ。

 

 蚕棚の暮らし、うん、不思議と疲れるんだ。妙に神経を使った。そこに入るまでは、淀んだ空気の、人間臭さに満ちた、雑な空間を思い浮かべていた。でも、実際に入ってみると、思いの外、乾いてひんやりした空気に包まれているんだ。静かだった。誰もが物音に気遣っているのが分かった。不意にどこかの棚からいびきが聴こえると、別の棚から壁でも蹴り飛ばすような、強い怒気そのもののような音が響いてきた。するとたちまちいびきの音がぴたりと止む。私はそこで過ごした一週間ほど、うん、熟睡したと思える日は一日もなかった。受付のおばさんに聞くと、ここで数年も住み続けている男もいるという。その男がどんな精神状態で日々を過ごしているのか、私には想像もつかなかった。

 

 朝になると、私は毎日、出勤するかのように、これから自分が暮らす街を見つけるために出掛けた。もちろんどこでも良いって訳じゃない。山奥なんてのは駄目だぜ。これから木の実や山菜を食って暮らそうって訳じゃない。熊や猿と相撲を取ったり、駆けっこをして楽しく暮らそうって訳じゃないんだ。宇津保物語の主人公、仲忠とその母親みたいに、「うつほ」に身を隠し、その美しい琴の音で動物たちに食べ物を運んできてもらえるほどの才能がある訳じゃない。ちなみに「うつほ」ってのは大木の根方にできた大きな空洞さ。都を逃れた仲忠母子は、そこで日々琴の修練を積みながら、時が来るのをじっと待ち続けたんだ。

 

 大阪から県境を超えて、兵庫県に入ってみた。川がいくつもあった。うん、何だかいい感じなんじゃないのかねえ。電車の窓から眺めると、工場が幾つも、いや、数えきれないぐらいに並んでいる。そうさ、子供の頃、社会の時間に教わった阪神コンビナートいうやつさ。ああ、これなら仕事にもありつけそうだ。

 

 何となく良さそうだと思える私鉄の駅に降り立ってみた。割と栄えた駅前の大きな歩道橋に昇り、あたりを見回してみた。うん、こんなもんでいいさ。駅前の商店街、立ち食い蕎麦屋、花屋、弁当屋写真屋・・・いろいろあるね。私は自分が、蕎麦屋のカウンターの中で、湯から引き揚げた蕎麦の湯切りをしていたり、これから誰かのお見舞い行くのだろうか、地味に着飾った奥さんのために花を見繕っていたり、はい、唐揚げ一個おまけだよとか言いながら弁当を詰めたりしている自分の姿を思い浮かべ、ああ、何だか良いじゃないかと思いながら、この街に住む事を決めた。おっと、立ち食い蕎麦屋の二階はちょうど不動産屋じゃないか。よし、早速ってんで不動産屋の階段を昇る私は、世間を知らない子犬のように無防備だったんだ。

                            この項続く

 

                                                                                                             2019.6.21.