通信20-20 闘病の記憶

 私は咳とゴキブリが嫌いだ、などと宣言したところで、自分もそうだけどそれが何か?という冷ややかな答えばかりが返ってきそうだね。うん、ゴキブリはともかく、咳に関してはいささか自分の古傷を掻き毟られるような記憶があるんだ。


 三年ほど前の事だ。私はじわじわと、日々勢いを増してくる咳の襲来に悩まされていた。ううん、何だろうね、この咳といかいうやつの不愉快さ。一体、私の気管の中、そいつがどんな状態になっているのか見てみたい。繊毛とかいうやつがさわさわとそよいで、私の気管の粘膜を、いっひっひっひ・・・などと薄ら笑いを浮かべながらくすぐり続けているんだろうか。昔の愚連隊の脅し文句の定型の一つに「臍から手え突っ込んで、盲腸がたがたいわせたろか」という下品な言い回しがあったが、咳き込んでいる時の自分は、ああ、願わくば、口から手え突っ込んで、気管の中をがりがりと掻き毟りたいとそう思ったものさ。


 まあ、ともかくこの咳ってやつが、毎夜毎夜、私が安らかな眠りを求めて布団に潜り込むや否や、襲い掛かってきたんだ。その咳の襲来、そいつは日増しに強くなっていき、とうとう死の恐怖を感じ始めた私は、近所の病院に駆け込んだ。駆け込んだだと?嘘つけ、のろのろとガードレールや、電信柱にしがみつきながら、這いつくばらんばかりの情けなさで病院に逃げ込んだんじゃあないか。そして、そのまま緊急入院、入院病棟の窓から空を眺めながら、そこで二週間を過ごしたんだ。


 うん、咳ってやつは、止まらなくなると死の恐怖を感じさせてくれるような代物だね。その点、くしゃみとは大違いだ。咳、何だか陰惨な感じがするじゃあないか。一方、咳の親戚みたいに思われているくしゃみ、うん、同じ親族でもこちらは何だか明るいおじさんってな親しみを感じるねえ。


 私が子供の頃、「ハクション大魔王」というアニメが流行ったが、これが「咳大魔王」だとか、「ゴホンゴホン大魔王」だとか、そんな名前だったら人気は出なかっただろうね。この「ハクション大魔王」とかいうやつ、大魔王のくせにたまたま近くでくしゃみをしたやつの手下にならなけらばならないという悲しい定めの元に生きているんだ。主題歌だって「くしゃみ一つで呼ばれたからにゃあ、それが私のご主人様よ」とかいう、子供心にも何やら理不尽さを感じさせるものだった。うん、それでも何かしら愛嬌があったのは、くしゃみだったからだろうね。咳だったらそうはいかないさ。咳き込むやつの手下になる?ああ、多分仰せ付けられるのは介護とか、看病とかだろうね。背中を摩ったり、お粥をつくったり、尿瓶を持って走り回ったり・・・、うん、アニメとしての見応えに欠けるだろうねえ。


 主題歌によると、「ハクション大魔王」は「壺の中から、飛んでくる」そうだが、これが「咳大魔王」となると「痰壺の中から、這ってくる」ってな感じかな。「ハクション大魔王」には、「あくびちゃん」という名前の可愛い妹がいるんだが、「咳大魔王」には、青白い顔色をした「たんちゃん」とかいう妹がいるんじゃあないだろうか。ちょいと粘っこい性格のさ。


 などという馬鹿な事を考えているのは、うん、最近咳き込む事が多くなったからさ。急激な気温の変化のせいか、その気温の変化に対応するために街中に流れ出したクーラーの冷気のせいか。ちなみに三年前の私の咳の原因は、喘息でも、結核でもなく、心臓病だった。ともかくもう御免だぜ、この咳とかいう無慈悲なやつと丁々発止、渡り合うのはさ。今でも咳き込むと、数年前の辛い日々の記憶がそのままに蘇ってくるんだ。


 別にどうでもいい事だが、もう一つの嫌いなもの、ゴキブリ、その死骸の片付け方については、私は自分なりのちゃんとした方法を持っている。参考までにここに書き留めておこう。ゴキブリの死骸を見つけたら、1.新聞紙を丸め、筒状にする。2、眼鏡を外し、睡魔に襲われた時のように、瞳の上に瞼を重く垂らし、すべての事物に対して目の焦点が合わないように視力を設定する。3、今、季節は秋だと思い込む。4、焦点を合わせないまま死骸の方を向き「あれ、こんなところに枯れ葉が・・・ああ、すっかり秋だねえ・・・」などと呟きながら、手に持っている筒状になった新聞紙で素早くそいつを掬い取る。


                            2019. 5. 27.