通信20-14 ゴム草履不足の時代があった

 世の中をすっかり変えてしまったグーテンベルグの大発明、活版印刷は音楽の世界にも大きな影響を及ぼした。次々と譜面が印刷され、売り出されたんだ。誰が買うのかって?もちろん一般の音楽好きな素人さんさ。そうすると、大袈裟にいうならば職業音楽家たちの秘儀としての音楽、そいつを素人さん向けに易しく作り直さなきゃあならない。

 


 先陣を切ったのはイタリア人のアルベルト、アルベルト・バスという技法を発明した事で有名な作曲家だ。アルベルト・バス、ピアノを習った事がある人ならば思い当たるだろう。右手が旋律、左手でドソミソ、ドソミソ・・・と繰り返すやつ。音楽の土台である低音の動きも、旋律に寄り添い、色を添える和声も、どちらもいっぺんに、しかも簡単に奏でる事ができるという優れものさ。簡単に、そう、簡単というそれが味噌なんだ。ソナチネというチャーミングな曲が巷に多く出回る。ソナチネというタイトル、一体誰が考え出したんだろうね。なかなかの商売人さ。よく誤解されている事だが、ソナタというのは作品の形式を表したものだが、ソナチネはちょいと違う。ソナタソナチネ、例えて言うならば、製品名と商品名みたいな違いがあるんだ。

 

 
 ちなみにソナタという言葉は、「演奏する」という意味を持つソノーレという言葉に源を持つ。対義語は何かというとカントさ。哲学の偉い先生とは関係ないよ。「歌う」という意味のラテン語だ。つまり音楽の中では、演奏するという事と、歌唱するという事は違ったものとして分類されていたって訳さ。もしかしてこの分類、古代ギリシャ時代の、知性と感情表現の対立する二項からなる音楽という概念ともどこかで関係しているのかもしれないね。そういえば、残念ながらタイトルを著者名も忘れてしまったが、17世紀頃のイタリアで書かれた作曲教本に、歌曲は転調を含んではいけないし、複雑な半音階進行を使ってもいけないと書かれたものがあった。

 


 こうして切り売りされる商品としての音楽の制作が始まり、それがそのまま現在に至っているってな訳さ。昨今のカラオケブームもこの延長上にあるといってもいいだろうね。さあ、次はどんなものが流行るんだろう。

 


 下駄箱の中を引っ掻き回してみた。うん、ゴム草履があと何足残っているか気になったんだ。去年は一足も買っていない。あれ、十五足はあるだろうと思ってたのに、うううん、十足しかないじゃあないか。確か、一昨年、二十足ほどが下駄箱に詰まっていたはずなんだが。うん、実は、ゴム草履の数には割と神経質なんだ。もう二十年以上も前の事さ。日本中にゴム草履不足の風が吹き荒れたんだ。私はゴム草履を求めて街から街を彷徨い続けた。そんな時、佐世保駅から歩いてほどないところにある戸尾市場、トンネル市場という愛称で知られている市場、その中にある小さな靴屋にゴム草履の在庫が溢れている事を知り、胸を撫ぜ下した。それから数年、私はその店でゴム草履を買い続けるのだが、店のおかみさんは私の顔を見ると、黙って梯子段を攀じ登り、天井裏からゴム草履がいっぱいに詰まった段ボール箱を引っ張り出してくれた。「何色を何足?」いつもそう訊かれ、そうだねえ・・・青三つに、緑二つにしようかね。うん、当時からいろいろな色のものが揃っていた。何色でも良いって訳じゃあないんだ。一応、シャツやズボンとのコーディネイトがあるからね。

 


 ある日、突然、その店がなくなってしまったのを知った時には、もはやこれまでかとも思ったが、確か1990年代の半ば頃さ、突然ブラジルから高級ゴム草履が輸入され始めたんだ。ゴムの含有率が高い優れものだ。ちなみに百円ショップで手軽に買えるものを私は薦めない。それらは、もうゴム草履と呼ぶ事すら躊躇われるような代物なんだ。ほとんどウレタンで出来ているその草履、もはやウレタン草履と呼んでしかるべきものさ。足へのフィット感がゴムとウレタンでは雲泥の差だ。ゴム草履を雲草履と呼ぶならば、ウレタン草履は泥草履と罵られるべきものだ。それに雨の日の危険度が全く違うんだ。ウレタン草履を履いて、何気なく濡れた偽大理石の上に足を乗せた瞬間、何一つ足を動かさなかったのに、そのまま十メートルほども滑ってしまった。もし私が羽生弓弦だとか、浅田舞だとか、そんな人間ならいいさ。でも、なにしろ、この私は耄碌じじいなんだ。

 


                              2019. 5. 20.