通信20-41 休日の前の晩に

 今日はいつもお世話になっているスタジオの、月一回の定休日ってんで、朝からゆとりをもって過ごしている。丁寧に朝ご飯を作って、そいつをよく噛んで食し、ベランダの雀にも丁寧にご挨拶、薄い雲がかかった青空を眺めながら、意味もなくうふふふと笑ってみたりしている。

 

 頭がぼうっとしているのは、うん、いつもの事さ。いや、いつもよりもちょいと深くぼうっとしている。頭を覆う靄が深い。それはさ、今日の休みを見越して、昨日ちょいと無理をしたからさ。珍しく夜にスタジオに入り、あっ、チューバ吹きのМさんだ、あれれМさん、最近あまり調子が良くない愚甥の事を心配して下さっているぞ。本当に申し訳ない。ドーモ君みたいに融通の利かない甥は最近、融通の利かなさがパワーアップして、ぬりかべみたいになっているんだ。そういえばḾさんって誰かに似てるよなあって思っていたんだけど、うん、こけしに似ているんだ。昨日気づいた。

 

 それからダンツイという、ほぼベートヴェンと同世代の作曲家が書いた真面目な作品をネタにレッスンを三時間弱、部屋に戻ってそのまま布団に潜り込んだりはしない。何てったって明日はお休みなんだ。ここ数日書き溜めたコラールを、パソコンに打ち込めるだけ打ち込んでやろうと汗をたらたら、いや、だらだら、粘っこい汗、そのまま煮詰めて瓶に詰めれば軟膏にでもなりそうなやつ。作り方は知っている。鍋に集めた汗を、とろおりとろりと柳の小枝で燻す事一週間、瓶に詰めれば軍中膏は蝦蟇の油・・・。

 

 まあ、そんな事はどうでもいい、ともかく見様見真似でパソコンと取っ組み合い、見様見真似?一体誰の真似をしてるんだ?小室哲哉坂本龍一?いやいや、実は二十年以上も前、山奥の自動車工場から降りてきたばかりの私、偶然神戸の街で再会したそのどこにも行く当てのない犬っころみたいな私を拾ってくれた作曲家のT、そういえばI先生を紹介してくれたのもこのTだった、このTが放送関係の仕事をしていて、人手が足りないっていんで私を自分のスタジオに誘ってくれたんだ。

 

 うん、そのT君、確かコンピューターの前で背中を丸めていたぞ、モニターを食い入るように見ながら、ぐっと伸ばした右手でエンターキーをカチカチとせわしなく押し続けていたぞ。うん、Tが何でそんな事をしていたのかも分からないまま、それらしく真似てみる。形から入るのが私の流儀だ。うん、要するに人間が薄っぺらなのさ。

 

 一晩で拵えてみた四つのコラール、ううううううん、上手くいかないねえ。でもまあ、初心者の老人としてはこんなもんじゃあないのかね。それぐらいで手を打たないとね。突き詰めすぎるとまた精神とやらがばらばらになるぞ。うん、若い時にそうなりかけたんだ。周りの音が、単なる生活音とかまでがさ、何だか意味を持って聴こえてくるんだ。「誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かに聴こえる」、二十四時間空耳アワーってな感じさ。

 

 今、コンピューターでの作業に関しては、多分もの凄く遠回りをしているんだけど、きっと後日、「なあんだ、こんな簡単な方法があったのか」と、取っつきにくいと思っていたクラスメイトと、ちょいした小競り合いの後で親友になるような、そんな笑い話がきっと待っているのさ。

 

 例えば音楽における強い表現の要に、音が大きくなったり小さくなったり、うん、業界用語でクレッシェンドとかディミネンドとかいう、速度が速くなったり遅くなったり、業界用語ではアッチェレランドとかリタルダンドとかいう、それらの現象はあくまで何らかの結果、例えば演奏者の心理状態の変化だとか、うん、その結果として現れるんだが、コンピューターで再現する場合、それを前提として扱わなきゃあならない。今のところ、その矛盾に対する解決策は自分の中に全くない。

 

 うん、でもさ、もう、そんなところで不貞腐れていたり、悩んでいてもしょうがないよ。私はさ、料理を作る仕事じゃない、料理の見本の蝋細工を作る、そんな仕事をする人になったんだからさ。早いとこ、蝋細工を作る職人にしか分からない喜びや、手応えを見つける事だ。そうだね、上手い事そいつが見つかれば、残りの人生とかいうやつ、多分、退屈する事なく過ごせそうだね。

 

                                                                                                       2019. 6. 19.