通信20-34 恋愛体質者の悲しさ

 われわれは腹を減らした餓鬼みたいにSが運んでくる仕事を待っていた。ほい、肉片でも放るようにSがわれわれの前に仕事を投げてくると、われわれは一斉にそいつに貪りつき、うん、仕事に飢えていたんだ、あっという間に平らげた。Sは本当に頼りになる、確かに最初はそう思っていた。でも、何だかSの仕事の取り方に、妙な怪しさを感じるようになってきたんだ。

 

 

 あるテレビ局の仕事、Sは個人的に知り合いらしいディレクターから貰ってきた仕事だと言った。スタジオに入り、そこでちょちょいのちょいと録音をこなして、はい、お終いってな感じの仕事だと思っていたが、事前の簡単な打ち合わせがなかなか進まないんだ。うん、Sとディレクターが何か言い争いをしていた。争いの内容については、ほとんど記憶にないが、多分些細な事が原因だと思う。しだいに興奮してきたSは、「&‘$#‘=$#@!!!」突然金切り声を上げると、スタジオを飛び出していった。

 

 

 スタジオを飛び出す?うん、そいつはなかなか大変なんだぜ。ドアをがっちりとロックしているレバーを持ち上げ、またそのドアが重いんだ、しかも二重になっている、ドアと取っ組み合いながら、まあまあ、落ち着けよと、なだめようとするディレクターの手を振り切り、何だかバネを巻きすぎた玩具みたい、まあ、ちょいとした見ものではあったが、ともかくSは飛び出していったんだ。振り返り、一瞬われわれに気弱な笑みを見せたディレクターが後を追いかけていった。こういう現場に慣れている、一番年長のベース弾きが、どうせしばらく戻ってこないさと、鞄から花札を取り出し、皆で気まずさを紛らわすように札を繰った。

 

 

 うん、こういう事が一度や二度でなく起こったんだ。どうもこのSってやつは、最初に業界の人間とのっぴきならないコネを作った上で仕事を貰ってきているんじゃないだろうか。といってもSが体を使って営業をしているってな訳じゃない。うん、そいつは確かさ。Sは律義にも、いちいち相手に本気で惚れていた。多分、一回りも歳が上の、ばりばりと仕事をこなす、横文字の職業に就いているような男が好きなんだろうね。相手の男たちがどうだったのかは知らないが、ともかくSは真剣さ。それで寝物語に仕事を貰うってな感じだったんじゃないだろうか。

 

 

 Sは失恋するたびにぐちゃぐちゃになり、ともかく寂しくて一人で夜を過ごせないという失恋者特有の気持ちから、誰彼構わず飲み屋に呼び出した。家が近かった私の元にも、よく召集令状が届いたんだ。おずおずと飲み屋に顔を出す私に、すでに酔っ払っているSは、猫が爪を研ぐように思い切り絡んできた。「別れた彼が浮気をしていたの・・・」いや、私はその男にとってSの方が浮気相手だろうと内心思った。しかも三番目だとか四番目だとか、割と位の低い浮気相手だと思った。

 

 

 淋しい淋しいと繰り返すSは、私の栄養が行き届いていない細い足に、そのむちむちした足を絡めてきた。さあ、テーブル下での攻防戦の始まりだ。私はわれわれの足が、知恵の輪みたいにすっかり絡みついてしまう前に何とかほどいてしまおうと必死だった。私の方はというとそもそも女性が、というより性というものが苦手だったし、それに田舎に可愛らしい女子高生を残していたんだ。その頃の私は初心な田舎の女子高生と、ささやかに文を交わし合うぐらいがせいぜいだった。

 

 

 近所にもう一人、Sのグループにいて、私とも一緒に仕事をしていた女の子が住んでいた。暴れ疲れたSが酔いつぶれると、私はその子を呼び出し、Sを押し付けて一人店を出た。そんな夜はどうしても部屋に帰る気にならず、ひたすら当てもなく歩いた。細い路地を歩くのは嫌だった。無機的な風景の中、乾いた風に身を曝しながら、むき出しになった粘膜みたいな心とかいうやつをひりひりさせながら、大きな通りをひたすら歩き回った。

 

 

 何だか悲しくてたまらなかったんだ。Sが仕事仲間に選んだ連中は、皆、出来の良いいわばエリート学生というようなやつらばかりだった。彼らは内心、Sの事を馬鹿にしていて、しかも時折は酔っ払ったSを抱いていた。うん、ここは自分のいるところじゃないというのが次第に分かってきたんだ。そもそもこんな仕事をするために作曲の修業を始めた訳じゃあなかった。

 

                                                                                                    2019. 6. 9.