通信20-28 巨匠のお仕事

 東京に出て、まず自分を打ちのめしたもの、それは私の師匠筋に当たる方々の圧倒的な存在感だった。その強烈な存在感、それがどこから来るのか、うん、その当時のクラシックの世界に住む音楽家たちは、ともかく家柄が良かったんだ。私のような田舎の貧乏人の子倅が、家柄がなんぼのもんだなどと毒づいたところで、所詮はから回りするしかない負け惜しみでしかなかった。何しろ先生方は、家柄も含めて、自身の存在をわずかにも疑う必要などなかったんだ。私の方はというと、ただ生きているだけで恥ずかしい存在だと、自分自身の事を思っていた。そういえばD先生は男爵家のご出身だったし、A先生は誰もが知る文豪の御子息だった。千年以上も続く藤原家の末裔なる指揮者の大先生もいらっしゃった。

 

 そばにいるだけで息苦しくなり、目玉がくるくる回ってしまうと感じ続けた私がどうしたかというと、もちろん逃げたしたんだ。居心地の良い、自分の場所を探してさ。うらぶれた路地を目指してさ。とりあえず最初に逃げ込んだのがエロ映画の世界って訳さ。もちろんそこにも違和感があった。居心地はよくなかった。うん、おおいにね。私は元々、女性がひどく苦手だったんだ。性的なものをまったく受け入れる事ができなかった。何度もそれを克服しようと頑張って、いささか過激に恋愛にのめり込もうともしたが、頑張れば頑張るほど、何とも言いようのない傷が広がってゆくばかりだった。よし、エロ映画の世界で、今度こそ女性恐怖症を克服するぞと力んではみたものの、ああ、いきなりその世界は刺激が強すぎたね。私は、撮影現場で目にする裸の女性に、膝ががくがくと震えたが、たいした事ないさと虚勢を張るために、自分が知っているあらゆる卑猥な言葉を次々に口にした。言葉を並べることで劣等感を克服しようとする、これは割と多くの人が使う手さ。うん、それで?もちろん何にもならなかった。ひたすら自分のみじめな臆病ぶりを、より強く認識しただけだった。

 

 エロ映画、そこはまさに粗製乱造の世界だった。ともかく数をこなさなきゃあ話にならなかった。ただ、その事が自分にとって良かったと思えるのは、一つの作品を作り上げるのに必要な過程を簡単に把握できたんだ。人手も足りなかったので、現場での手伝いも要求された。出演者が途中で裏方として手伝うなんて事はあたりまえだった。さすがに女優さんは扱いが違ったが、男優さんの方はというと、うん、裏方に紛れ込んでいても、その存在に気づく事はほとんどなかった。

 

 あるイタリアの巨匠が、カメラを覗いて、空の色が気に食わないと言うんで、その日の撮影は中止、その繰り返しで一カットを撮るのに一週間を掛けたと聞いて腰が抜けるほど驚いた。へえ、映画ってそんなもんなのかい?エロ映画界の巨匠、われらがS監督は一日に五十カット以上撮るなんてざらだったぜ。

 

 狭いアパートの一室に、役者、スタッフが犇めいている。・・・その真ん中で女と男が激しく言い合いをする。はい、OK。・・・激しく言い合っていた男女がもう抱き合っている。はい、OK。・・・男がバスタオルを体に巻き付けたまま部屋から出ていき、今度は玄関口に背広姿のセールスマンが立ち、女の体を舐めるように見る。はい、OK。・・・セールスマンが女に覆い被さり「駄目よ、駄目駄目」、「良いじゃないか奥さん、誰も見ていないよ」はい、OK。

 

 うん、これらの断片が一体どう繋がってゆくのか、それが分かっているのは監督だけなんだ。S監督の指示通りに動いている役者もスタッフも、その時自分が一体その映画の中でどんな役割をしているのかなんて、全く分かってはいなかった。まだこの世のどこにも存在しないその作品の完成した姿は、監督の頭の中だけに在ったんだ。出来上がったフィルムを見ながら、ああ、あの時に自分がやっていた事にはこういう意味があったのかと驚いたが、その驚きは楽しいものだった。

 

 楽しい事も、悔しい事も、まあ、どんな仕事も同じだね、いろいろあったし、わずかなギャラではあったが、自分の労力を金に換算する事も知った私は、ともかく一年近くでエロ映画の現場を離れた。うん、成り行きでそうなったものの、決してやりたかった仕事ではなかったんだ。この業界にどっぷりと浸かっているやつら、この仕事を単に足掛かりとしか思っていないやつら、いろんなやつらと出会ったが、私は成り行きでそうなったにしては、さまざまな事を教えられた、良い経験だと思っている。

 

                                                                                                               2019. 6. 3.