通信20-25 パソコンのモニターを運ぶ

 梅雨のような暗い空が広がる朝に目を醒ました。二時間ほど地下のスタジオで過ごし、地上へ出てみると、随分と空が明るくなっている。遅い午後にようやく、薄い雲の裂け目から西に傾きかけた太陽がのぞく頃に、ようやく家を出て博多駅へと向かった。

 

 

 お買い物さ。パソコンのモニターを買いに出掛けたんだ。昨夜、新しいパソコンに取り付けたモニター、そいつは数年前に買ったまま放り出していた液晶テレビなんだが、いざ、繋いでみると思ったよりも随分と画面が小さかった。いててて・・・えっ?何が痛いの?うん、そいつは目さ。世間の方々よりもちょいと軟弱な私の眼球が悲鳴を上げたんだ。「眼球が悲鳴を上げた」などと書くと、大木こだま師匠から「眼球は悲鳴なんか上げへんやろう。怖いお人や」と突っ込まれそうな気がしないでもないが、うん、確かに眼球が上げた「うきいいい」という声を聞いた気がする。

 

 

 ともあれ、博多駅のリサイクルショップへ入ると、おお、一台だけあるじゃないか。うん、これならちょうどいい大きさだね。しかも安くて、奇麗だね。よしってんでカウンターへ運ぼうとすると、あれ、結構重いね。しかも実際に抱えてみると思ったより大きいぞ。包装に時間が掛かりますので、ゆっくりと店内をご覧下さいと言われ、しばらく店の中をぶうらぶら、カウンターへ戻ってみると、うへえ、やはりでかい。こんなに大きなものが存在するのかと疑いたくなるようなコンビニ袋、多分エスパー伊東なら二人は入れるだろうというぐらいの大きさのやつ、そいつが不格好に膨らんでいた。

 

 

 こいつを抱えて地下鉄に乗るとなれば、うううん、中洲川端駅で乗り換えて・・・。ごつんごつんとモニターの角をぶつけながら改札を通り抜ける自分の不格好な姿を思い浮かべ、うん、やっぱり歩いて帰ろう、そう決めたんだ。

 

 

 店の外へ出てみると、会社帰りのサラリーマンや、OL、学生、職業不詳者で道は溢れていた。そういえば、大きな荷物を持つと、急に強気になるやつがいるけど、あれは一体何なんだろうね。「さあ、どいた、どいた」などと叫びながら、祭りの神輿でも担ぐようにはしゃぐやつ。もちろんこの私とは正反対だ。私はと言えば、どうもすみません、すみません、すみません・・・と先代の林家三平師匠みたい、ひたすら謝りながら、人と人の間をすり抜けるんだ。ああ、まさか、また自分が荷物なんか担いで歩き回る時が、再び来るとは思わなかったと呟きながら。

 

 

 かつては物を運ぶ専門家だった事もあるんだ。確か二十代の後半、出会うやつ、出会うやつ、うん、音楽家といわれるやつらね、そのことごとくが嫌で、嫌でたまらなかった私は、すべての仕事を放り出して、その業界を飛び出したんだ。それから十年近くを、夜勤専門の倉庫作業員として過ごした。音楽家としてはまったく役立たずだった私だが、荷運びの世界では結構、重宝されたんだぜ。根が真面目だからね。

 

 

 その間、さまざまな荷物を運んだが、その中でも飛び切り重い荷物を運んだ事を憶えている。重いといってもいろいろあるさ。単に重量の話ではなく、それとはまた違った重さを持つ荷物を運んだんだ。

 

 

 白々と空が明け始め、もうすぐ今日の仕事も終わると、ほっと息を吐く瞬間がある。朝日の作る影が、運送会社のホームに、すうっと伸びてくる頃にやって来る最終便のトラックを待って、軽い欠伸をこらえていたら、ふと、主任に後ろから肩を叩かれた。その主任が私の肩を引き寄せ、耳元で小声で囁く。「悪いんだけど、今日少し残業してもらえるかな」いいですよ・・・「今から別便で、段ボールが六十個ほど流れてくるんだけど、それをね、君一人だけでトラックに積み込んで欲しいんだけど」はあ・・・「絶対に数を間違えないで、正確には六十四個あるからね」・・・?一体何なんだろうと思い、それでも黙って荷物が来るのを待っていた私の前に、数台の大きな台車に積まれた六十四個の段ボールが運ばれてきた。宛名を見ると・・・!誰もがその名を知るような暴力団の名前が書いてあるじゃあないか。送り元は、うん、これまた沖縄のそういう怖い事務所の名前があった。何だよ、この荷物、うへえ、一つ一つが随分と重いじゃあないか。伝票を見ると、うん、「缶ジュース」と書いてある。そういえば、丁度その頃、日本中を震え上がらせた大抗争の真っ最中だったんだ。それで中身は?いや、だから缶ジュースだって。缶ジュースって書いてあるんだから、缶ジュースに決まっているじゃないか。きっと抗争に疲れた団員の方々が、束の間の休息にジュースで喉を潤したのさ。

 

 

 ともかくそのリサイクルショップから自分の部屋まで、およそ三十分ほどの間、私はそれまでに自分が運んだ事のある、さまざまな荷物の事を思い出していた。荷担ぎ、そいつは真っ当な仕事だねえ。これまでの人生の中で、その十年足らずの期間だけ、私はでかい面をして大股で街を闊歩していたんだ。

 

 

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