通信22-13 転がる玉のように

 ああ、まるでこれじゃあビリヤードの玉じゃないかと自分の事を思いながら、福岡の街をひたすらにあちらこちらへと転げ回った一週間だった。月曜日にお風呂を沸かし、火曜日にお風呂に入り・・・そんないささか頓珍漢だが、悠長なロシア人みたいに一週間を過ごすのがせいぜいの私なんだが、うん、先週は違ったね。

 

 きっかけは新しい演奏者を紹介された事だった。演奏者?いやいや、それ以上の存在さ。何やら目を醒まさせられたんだ。いきなりね。はりせんで思い切り頭をはたかれたってな感じさ。うん、目が醒めた。私はこの十年何をとろとろと眠り込んでいたんだろうか。壊れかけた心臓を後生大事に抱え込み、ぼそぼそと独り言を呟きながら、抜き足差し足、こそこそと暗がりを、江戸時代の醜女みたいに他所様の家の軒から軒を伝うように歩き回っていたんだ。

 

 おいおい、そんなのを作曲家と言えるかい?そんなやつが書いた作品を聴いてみたいかい?うん、こんな気持ちを何と言うのかねえ?無頼?そうだね、私が敬愛する物書きたちは皆、無頼の心ってやつを腹のど真ん中に抱え込んで街を闊歩していたんじゃあないのかね。誰が何と言おうと書きたいものを書く、例え心臓の一個や二個破裂しようとも、例え眼球の一個や二個ぶっ潰れようとも、書きたいものを書き続けるという病に引き摺られながら生き抜いたんじゃあないのかね。

 

 でもこうして考えてみると、この十年私は一人の演奏家とも出会わなかったという事だろうか。そういえば自分自身で演奏できるようにピアノの曲やサキソフォーンの曲ばかりをつらつらと低いテンションで書き続けたんだ。うん、面白くなかったね。私はピアノもサキソフォーンも大いに下手糞なんだ。筋金入りさ。世界下手糞コンクールがあれば優勝間違いなしさ。そんな下手なやつのために曲を書くなんて真っ平だね。いや、それ以前に誰か自分以外の人のために書きたかったんだ。他者、そいつを自分の中に取り込みたかったんだ。それこそが物を書くという事の本当の楽しみさ。

 

 まずはこの十年ほどの間に書き溜めた、吹けば飛ぶような曲をどうしようか?うん、簡単な事さ、吹いて飛ばしてしまえばいいんだ。それから自分の耳だとか、頭だとかをまっさらにして、うん、奇麗な画用紙みたいにさ、さあ、そこに湧いてくる音符を書けるだけ書きつけるんだ。なあんだ、簡単な事だね。

 

                                                                                                      2019. 12. 27

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