通信20-27 初めての作曲のお仕事

 

 

 そういえば個人情報とやらが云々されだしたのは、いつ頃だろうか。私が若い頃は、有名人の住所や電話番号を手に入れるのは割と容易かった。高校を卒業して上京し、大学に見切りをつけ、いや、それ以前に大学からはとっくに見切りをつけられ、さあ、これから何をしようかと、縁日でも見て回るみたいに、東京をふらふらと見物するような日々を送っていた私は、何人かの有名な音楽家に弟子入りお願いした。

 

 

 今なら飛んでもない事だと分かる。その頃の、山出し、海出しの田舎者に何のしきたりなど分かる筈もなく、今の言葉で言うならアポ無しってやつね、私は勝手に偉い先生方のお宅へ押しかけて、弟子にして欲しいと頭を下げて回ったのだった。

 

 

 先生方がまず仰るのは、どうやって自分の住所を知ったのか、という事だったが、作曲家名鑑みたいな本で調べてきましたというと「あっ、そう」と、さほど驚いた様子もなく話を聞いて下さった。一方で大学の教授だとか、権威が服を着ているような御仁は、もちろん会っては下さらなかった。もし彼らに会いたければ、コネを頼りに、ずらり並んだお稲荷さんの赤い鳥居をくぐるように、狭い門を次々と潜り抜けなきゃならなかったんだ。ともあれ当時は、出版社が十年に一度ぐらいの割合で出す名鑑や、音楽雑誌とかの付録みたいな本、「日本の音楽家特集」みたいなやつに、住所から電話番号まで平然と載せられていたんだ。

 

 

 まあ、いきなり押しかけていって弟子もないもんだが、いや、そうでもないぞ、当時は割とそういう不躾な風習があったんじゃないかな、ともかく私は数人の有名な先生とお話する機会を得たって訳だ。

 

 

 その中でも、半分芸能人みたいな立場におられたA先生は、「弟子にはしないが、友達になってもいいよ」と言って下さった。父親ほども歳の離れた、しかも大先生と友達も何もないもんだが、どこまでも厚かましい私は、時折、A先生を訪ねてはいろいろとお話を伺った。

 

 有名な先生を何人も訪ねたのは、うん、別に有名人が好きってな訳じゃない。ただ、田舎者の私には有名人しか知りようがなかったんだ。

 

 

 実は高校生の時、私はある小さな作曲のコンクールで賞を貰った。その時の審査員だったD先生から、突然励ましのお葉書をいただいていて、本当ならまずD先生を訪ねるのが筋ってなもんだが、どこまでもひねこびた根性の持ち主である私は、そうはしなかった。うううん、そんなやつはろくな大人になれないぜ。うん、知っている。だから今、私はこうしてろくでもない大人として這いつくばるように生きているじゃないか。

 

 

 ともあれ、雲仙だか、島原だか、そんな大きな漢字のロゴが入った紙袋を両手にぶら下げ、背中にはでかい傘が刺さった風呂敷、田舎者丸出しで上京した私にとって、東京は玩具箱のように面白かった。首がひん曲がるぐらいに、きょろきょろと街の隅々まで見て回っていた私だが、次第に行くところが偏って行く。その頃、魅かれた街は、うん、その他大勢の若者同様、新宿さ。あの馬鹿でかい駅で初めて降りて、いきなり潜り込んだ西口の地下道、おお、涙が出るような異臭、ずらりと並んだホームレス、うん、当時はそんな言葉はなかった、浮浪者、おお、そうだ、浮浪者だよ、その眺めが珍しく、すっかりこの街に惹き込まれてしまったんだ。

 

 

 地上に出ると、これまた汚い飲み屋街が。まるで終戦直後のバラックみたいなやつがずらりと並んでいた。今は、その汚さを演出して、レトロだとか、昭和だとか、適当な売り文句にしているらしいが、当時は生々しい汚さがあった。その中にあった一軒の焼き鳥屋、うん、屋号も忘れたが、たまたまその店のカウンターで隣り合った私より一回り年上の男、それがエロ映画を専門に撮っているS監督だった。酔いも手伝って、まあ、そんなもんに手伝って貰わなくても、大風呂敷を広げるのは得意なんだ、狸の八畳敷きみたいなやつ、そんな大風呂敷を広げ、あれやこれやと有りもしない才能とやらをでっちあげ、うん、いつの間にか次の日に、都内のとあるスタジオにS監督を訪ねる事に話が決まっていた。

 

 

 涙がでるほど安いギャラ、競馬馬のように容赦なく尻を叩かれ、大急ぎでこなさなきゃあならない仕事、まさに、粗製乱造とはこの事だ。ああ、それでも自分が書いた音符が音になるのは嬉しかった。エロ映画の世界で、音楽なんてまったく問題にされてなかった。著作権の切れたレコードの音を貼り合わせただけだというものもざらにあった。でも、ともかく間に合わせる事ができれば、何でも通ったんだ。これは有難かった。それから一年にも満たない間だったが、海の中をむちゃくちゃに泳ぎ回るように仕事をこなしたんだ。

 

 

                                                                                                       2019. 6. 2.