通信20-21 沈鬱な朝

 今日は朝からカール・フィリップ・エマニエル・バッハのソナタのレッスンを頼まれた。エマニエル・バッハ、うん、何やら問題の多い作曲家さ。われわれ二十一世紀を生きる人間からすると、何とも腑に落ちない音が所々に現れるんだ。ある時代にはセバスチャン・バッハの馬鹿息子よばわりまでされた可哀想な作曲家だ。私自身、エマニエルには苦手意識があった。何や、よう分からん御人やあ、などと呟きながら敬遠していた時期があった。今?今は違う。エマニエルの譜面を読むのは楽しくてしょうがない。そうさ、エマニエル・バッハこそが過渡期の作曲家なんだ。


 随分と昔の事だ。私のところに韓国から来た留学生のイ君という青年が作曲のレッスンを受けに通って来ていた。ともかく明るく、積極的な若者で毎度のレッスンは楽しいものだったと記憶している。そのイ君は日本を離れた後、ヨーロッパを始めとして世界中のさまざまな国を渡り歩いていた。時折、日本に立ち寄ると、その度にお土産だといって私に、日本では絶対に手に入らないような珍しい譜面をくれたが、その多くは、うん、何と言っていいのかね、歴史の中で淘汰されてしまい、今では誰の記憶にも残らないような作曲家のものばかりなんだ。「先生、こんなの好きでしょ?」と言いながら、笑って差し出す譜面、そいつは粗雑な紙に刷られた古い譜面だったり、時には図書館でコピーしてきたようなものもあった。


 ああ、これは有難かった。いつの間にか消えてしまった作曲家の作品、でもその中には果敢な挑戦がこれでもかというほど詰まっているんだ。はっきり言って日本は西洋音楽後進国だ。そんな後進国には完成され、商品として認められたものしか入って来る事はない。でも、その長い年月を掛けて緩やかに完成されたもの、その完成の途中で削り落とされてしまったさまざまな挑戦、そこに意味が無いと誰が言えるだろうか。そこで削り落とされ、ふるいにかけられ、忘れ去られたしまった数多の作品を、実際に手にする事ができるようなところに、ああ、ヨーロッパの文化の厚みにとことん打ちのめされてしまうね。


 例えばルネサンス期からバロック期にかけて、対位法に支えられた音楽に和声の快感が大胆に割り込んでくる、当然その過程にはさまざまな失敗が存在したはずだ。われわれは自分が今立っている地点から過去を振り返るように、古典を理解しようとする。でも、大切なのはその古典の時代に立ってそこから未来を見るように作品を理解する事だ。昔の人はそんな事はしなかったと口うるさく繰り返す古典主義に身をおいても仕方がないじゃないか。昔の人はこんな事までやろうとしたのかと、そうさ、人間というものに対する敬意、それなしには古典を理解する事なんて不可能だぜ。


 うん、実はさエマニエル・バッハは彼を取り巻くバロック期から、古典期といわれる時代への過渡期に活躍した作曲家なんだ。その時代の前衛作曲家さ。その事を踏まえて、エマニエルの作品に立ち向かわないと、うん、やっぱりセバスチャンの馬鹿息子って事で終わってしまうんだろうね。


 久々の雨の朝だった。ああ、鼻がぐずぐずいっている。うん、おかしな夢を見ていたんだ。海辺の街で、小学生ぐらいの女の子に名刺をせがまれた。「はいよ」と渡した、何故かハガキほどの大きさの私の名刺を受け取った女の子の顔がみるみる曇ってゆく。えっ、何故?その子は私の鼻っ面に名刺を突き付けた。「ひどい、ぷーさんにこんな事をするなんて」。よく見るとその名刺、クマのプーさんのイラストを乱暴に消して、その上に私の名前や住所が刷られていたんだ。その子は「ふん」と鼻息を立て、名刺をポケットに突っ込むとそのまますたすたと向こうへ行ってしまった。その時、そばにあった小屋の陰から、うん、どうやらここは寂れた漁村らしいんだが、突然に現れた初老の男が私にしきりに何かを語りかけてくるんだ。うん?この爺さん、一体何を言っているのか、そいつがまったく聞き取れない。空は曇っている。自らの重さでゆっくりと降りてきたかのような、厚みのある空があたり一面を覆っている。男の背後に見える海は鉛色で、降りてきた空との境目が、どんなに目を凝らしても見えない。初老の男は、ひたすら聴き取れない言葉を呪文のように繰り返す。


 ふと目を醒ますと、私の夢の中の空が、そのまま窓の外に広がる現実の空へとつながっていた。何故だか分からない。布団の中の私は大いに打ちひしがれていた。ああ、悲しくてたまらない。もしかしたら、直前まで見ていた夢の中に忘れてしまった部分があって、そこには何か思い切り悲しいものが詰まっていたのかもしれない。うん、そんなこんなで、私は不景気な面をしながら鼻をぐずぐずいわせたまま、布団に包まり、訳の分からない悲しさを噛み締め続けていた。


                           2019. 5. 28.