通信27-5 熱燗もつけられるしスルメも焼ける うん 人生それで充分さ

 私のような者にもかつては師匠と呼び慕った方がいた。その我が師I先生から譜面の書き方を教わった事は殆どなかった。じゃあ何を教わったのかって?作曲家という変てこな存在になるための、あるいは作曲家として存在し続けるためのさまざまな方法、そいつを耳にタコができるほど聞かされた。具体的には借金の申し込み方、借金の断り方、熱燗の付け方、スルメの焼き方、出版社あるいはクライアントとの原稿料の交渉の仕方、自身の売り込み方等々。だが不肖の弟子にはその殆どすべてが身に付かなかった。かろうじてできるように思えるのは熱燗の付け方とスルメの焼き方ぐらいだ。

 

 譜面の書き方について教わる事はなかったが、ミスには厳しかった。私が夜中に寝ぼけ眼を擦りながら書いたよれよれの譜面に書き損じを見つけると、黙ってそこを指差し、こちらの間がもたなくなるぐらいに長々と溜息を吐かれるのだった。若い頃、戦前のベルリンという都市で過ごされた先生は、甘ったれた若造が気にも留めないようなミスが、作曲家として致命的な事態を呼ぶという事を骨身に染みてご存じだった。臨時記号、うん、♯とか♭とかいうやつね、あと五線を一段間違えたとか馬鹿げたミス、そんなミス一つで速やかに仕事を干されるという体験をされたそうだ。だから絶対にミスをしてはいけない、その有難い教えを、ついに私は身につける事ができなかった。

 

 ドイツ人は葉書ぐらいの大きな名刺を持っているそうだ。何事かあるとその名刺の裏側にすらすらと推薦状を書いてくれるらしい。その推薦状とやらを持って新しい雇用主に会いに行くという事になるんだが、相手にその推薦状を渡すだけでは何の効果もない。「はい、お疲れさん」冷ややかにその一言と共に追い返される。そうさ、その有難い推薦状を渡したうえで、それから舌がすり減るほどに自分を売り込まなければならないんだ。ちょっとでも自分の長所と思えるような事があれば、そいつにたっぷりと尾鰭をつけて、その推薦状が、吐いた唾できらきらと光り出すほどに捲し立てなければならないと教えられた。毎度毎度、顔を合わせるたびにその手の説教を繰り返された私は、すっかり縮み上がって、作曲はしたいが、作曲家になりたいという気持ちは次第に干からびてゆくのだった。

 

 いや、作曲家だけじゃないさ、別に何の仕事でもいいさ、ともかくプロと呼ばれるような立場、その立場に居座る事は到底できそうになかった。ギャラの交渉、そいつがまったくできなかったんだ。ようするにただの貧乏性さ。私に信仰心があるとすれば崇める神、それはもちろん貧乏神一択だ。中上健次の小説の一文を借りるなら「五十円玉の穴をくぐり抜ける精神」私がかろうじて持ち合わせているものといえばそれぐらいだ。

 

 それにしても何故、朝っぱらからそんな気の滅入るような事を考えているのかって。もちろん今日がI先生の命日だからさ。うん、多分そうじゃないかな。もちろん葬式にも出ていないし、墓前に馳せ参じる事もなかった。生意気で少しも言う事を聞かない私は、破門同然に先生の元を放り出され、数十年も会わないまま、まるで風の噂でも聞くように、同門だった某女子に先生がお亡くなりになった事を教えられたんだ。

 

                                                                                                 2022/ 10 /26.