通信22-20 夜中に酔っぱらって人様の家でピアノを弾く

 泥のような眠りから覚めると、おお、もうスタジオに入る時間じゃないか。絡まった衣服を剥ぎ取るように慌てて着替え、いつも着ている上着に腕を通そうとすると、あれ、何だか随分と重くないか?そのずしりと重さを感じる上着のポケットに手を突っ込んでみると、たっぷりと果汁の詰まった大き目の蜜柑が左右それぞれのポケットに一個ずつ、何だかファンシイという言葉を思い出させるような、可愛らしい女の子の絵が描かれた手帳、何やら印章のような形の木片が一個、うん、確かこの木片は指の形を矯正するための便利グッズさ。うん、すべてお土産に貰ったんだ。

 

 次第に前夜の記憶が蘇ってくる。昨日は知人の家に遊びに行った。うん、ほぼ十年ぶりだったね。途中まで車で迎えに来て貰い、それから近くの焼き鳥屋へ。そこで船中八策という、多分名前からすると高知の酒だろうね、そいつをぐいぐいと飲んで、半ば千鳥足に、すっかりご機嫌さんになってから彼の自宅へとお邪魔したんだ。

 

 玄関横の箱の中に寝そべっている犬、おお、でかい、確か十年前に見た時とは随分と違っているぞ。動物が成長するって事は私だって知ってはいるが、おお、こいつは成長ってなもんじゃない、肥大だ、巨大化だ。出世犬?うん、はまちが鰤になるようなもんさ。

 

 それから部屋に上がり込んで、うん、彼が抱えて来た段ボール箱に詰まっている汚い紙屑、そいつは十年以上前に私が書き続けた譜面のコピーの束だ。いきなり昔の、そうだね、いささか頭がいかれていた頃の自分と再会して、たあらたらたらと膏を搾り取られるガマのように冷や汗を流す。

 

 十年ほど前、目を悪くしたのを機に燃やしてしまった譜面のコピーが現れたんだ。燃やした?うん、そうさ、才能もないのに作曲などという行為にすっかり人生とやらを掠め取られた私を、眼病がある意味救ってくれたんだ。作曲とかいう、どこまでも私につれなかった行為からすっぱりと手を切る手助けをしてくれたって訳さ。別れた女との恋文でも燃やしてしまうかのように、青藍山の仕事部屋の庭でおぞましく溜まり続けた紙束を次々に火に投げ入れた、その時に焼いたサツマイモの甘さは今も舌に残っている。

 

 まあそんな事はどうでもいい、それから酔っ払った私は知人の家で迷惑も顧みずピアノを弾き、うん、まるで封じていた質の悪い妖怪を蘇らせるかのように、若い頃書いた自分の曲を次々と音にしてみて、その不吉さに体をぶるぶると震わせたんだ、それからゲン直しにと知人に夜中のセッションをお願いし、あれ、何だか次々と色んなやつとセッションしたような気がするが、うん、もちろんそこには彼一人しかいない、彼が持っている四本のヴァイオリンと次々に演奏したんだ。楽器を持ち替えるとたちまち別人のように音が変わる。面白いもんだねと浮かれながら傍迷惑なセッションを続けた。

 

 うん、それが数日前の事、年末に突然始まった作曲の衝動にずるずると引き摺られたままもう何週間を過ごしているんだろう。すっかり作曲する感覚が戻って来た。作曲する喜び、そいつが戻って来た訳だが、もちろん同時に苦しさってやつも戻ってくる。何をどうしていいのかが突然分からなくなるようなあの不安定な人格が戻ってきたんだ。

 

 思えばこの十年間、呑気にラッパを吹き続けた、ひたすら好々爺を目指してさ、そこにいきなり緊張が投げ込まれたんだ。それ以前の私はどうやってこの状態に耐えたいたんだろう。若さと体力のお陰だったんだろうか。ともかく今は自分を、ちょいと突けばたちまちばらばらになってしまう、壊れかけた寄せ木細工のように感じているんだ。

 

                                                                                                     2019. 1. 13.