通信27-4 かつてのバブル景気に思いを馳せてみた

 天気も良いしってんでとりあえず布団でも干してみた。一年ほどぐずぐずと作曲に打ち込んでさ、ああ、今はともかく片付けたい。何を片付けるのかって?うん、自分でもよくわからないさ、ただともかくきちんとあるべきものをあるべきところに収めたいんだ。三年ほども続いた伝染病のせいかもしれない、私だけじゃない、ともかく世間ってもんが荒れているとそう感じている。

 

 仕事にしろ、何らかのお楽しみにしろ、色んな事が途中で放り投げられ、宙吊りにされている気がする。それらをきちんと腑分けし、修正できるものは修正し、そうでないものとは縁を切って、うん、ともかく自身が集中できる状態を拵えなきゃならない。

 

 今、ふと頭に浮かんだのは「バブルがはじけた」と称される1980年代の終わり頃の事だ。そのはじける前のバブル景気、うん、とんでもなかったね。恐ろしく馬鹿げた仕事の代償として、恐ろしく高額なギャラを頂き続けた数年間だった。浮かれた世の中の誰もが大いに金を使いたがっていた。駄菓子屋の店先で初めて金を使う事を覚えた幼稚園児みたいにさ。

 

 あれもこれもどれもそれも、企業はどうでもいいような式典に、テープでもCDでも使っていればいいじゃないかと思えるような場面でも、そうさ少しでも箔を付けようと、生演奏をさせるために音楽家たちを引っぱり出し続けたんだ。作曲家たちだって、やれファンファーレだの、祝典の音楽だの、○○社の創立○○周年記念の歌だの、まさにひっぱりだこってなもんだ。いや、それはまだいい。厄介なのは素人さんが我も我もとマネージメントに手を出してきた事だ。

 

 暇と高すぎる志を抱いた奥様たちが有名無実の事務所めいたものを立ち上げ、おのおのコンサートの企画を始めたんだ。コンサート前の楽屋で寛いでいると突然ドアがノックされる。はて?と無防備にドアを開けるこちらの鼻先で、まるで中国の変面とかいう技だね、顔中に笑顔を貼り付けた奥様然とした二三人の女性が ああ、まさに鼻に噛みつかんばかりの勢い、まるでカンペでも読んでいるかのような早口で「私たちはこの街を花で一杯にするように音楽で一杯にしようとコンサートを企画しているオフィス○○です。この度は先生にお仕事を依頼したく・・・」

 

 うん、そうさ、私ぐらいの二流、三流感あふれる音楽家が素人プロデューサーたちにとって一番絡みやすいんだ。素人?ああ、見せられた企画書は一体どうやって採算を採るつもりなんだと首を傾げざるを得ないような、まさに「花で一杯」な内容のものだった。それでもバブル景気のなせる業なのだろうか、彼女らはこちらに有無を言わせない勢いでぐいぐいと押し込んでくるんだ。

 

 バブルがはじけた年、当たり前の事だが次々とそれらの事務所は消えて行った。確か未払いのギャラは額面の半分ぐらいになっていたと思う。立ち上げた事務所の事などすっかり忘れ去り、一家の主婦にお戻りになった奥様方に改めてギャラの事についての確認の連絡を入れると、まるでとんでもない守銭奴が自分たちをゆすりに来たというような風情で追い払いにかかるんだ。

 

 うん、この人達に悪意は欠片もなかった、それだけに数多の詐欺師たちよりもよほど質が悪かった。無鉄砲な善意ほど厄介なものはないね。うん、今となっては滑稽な思い出さ。ただ、思い出しても少しも楽しい気分にはならないが。もちろん今も高い志と善意に突き動かされている人々は大勢いる。私にできる事?もちろんそんな方々には関わらない事さ。ともかく中途半端にぶら下げられたままの仕事の事を考えると、たちまち1980年代の世間の浮かれっぷりが頭の中に甦ってくるんだ。

 

                                                                                                         2022/ 10/ 25.