通信21-37 自分の無知を大いに恥じる

 朝っぱらから頭を抱えてうんうんと唸っている。何故?ああ、そいつは恥ずかしさからさ。自分の不明を、無知を、ともかくその存在そのものを大いに恥じているんだ。長年取り組んできたカタロニア古曲、その中にどうしても意味が分からない言葉があった。知人にその話をすると、とりあえずネットで検索を掛けてみたのかと問われた。「ううん、そんな事しないよ」「何故?」えっ?何故って・・・うん、何となく。そんな会話の後、それではと思い早速その言葉「バランゲラ」、そいつを検索してみた。えっ?国家?長年編曲を繰り返し、自身のコンサートの冒頭に置いていたこの曲、これ国家なの?国家に認定されたのが1996年との事、まだガキだった私がこの曲に取り組み始めて数年後の事だ。おお、何だか知り合いがいきなりノーベル賞でも獲ったみたいな不思議な気分じゃあないか。

 

 ところで一体どこの国の国家なんだい?マヨルカ島の国家?島の国家っていったい何?マヨルカ島と言えば地中海の西の端の方にあるパレアレス諸島の中、最大の島じゃあなかったっけ。確かショパン大先生が結核の療養のために過ごした島さ。スペインに占領されたカタロニア地方では、政府によってカタロニア語の使用は禁止された。うん、支配するためにはまずその土地の言語を奪う。支配する側がまず最初にやる事だ。そのため本土ではほとんど話される事が無くなったカタロニア語だが、パレアレス諸島のいくつかの島ではいまだに話されていると聞いた事がある。

 

 そのカタロニア語、調べようにもなかなか資料が見つからない。県立図書館に薄っぺらな内容の辞書が一冊あるきりだ。実はカタロニア語、そいつはラテン語の口語体らしい。あれ?って事はラテン語の辞書で事足りるって訳かね?うん、早いとここの駄文を書き上げて図書館を訪ねる事にしよう。

 

 それにしてもネットで検索したこの記事、何だか言葉がめちゃくちゃだぞ。ああ、これが悪名高い自動翻訳機のなせる業なのかね。もし私がこの記事通りに誰かに話しかけたら、「はいはい、おじいちゃん、そんな事どうでもいいからお昼ご飯でも食べましょうねえ」、などと労られそうな気がするねえ。

 

 ともあれこの朧げにしか分からない歌詞を持つ歌。多分歌の雰囲気やリフレインの仕方から労働歌、作業歌の一種じゃあないかと思っていたのだが、多分間違いないだろう。「回る回る」だの「糸」だの「織物」などという言葉が出てくるところを見ると機織歌みたいなものじゃあないのかね。でもさ、ああ、いいね、それが国家になる国なんてさ。

 

 カタロニア古曲集に中の一つに数えられているこの曲だが、実際には特定の作曲家がいるらしい。そのお名前は、うん、さっき調べたんだけど忘れてしまった。ともあれ作曲者がいるという点で古曲とは言えないのかもしれないが、ああ、でも誰か個人が作ったものというよりも、伝承された歌というような素朴な力強さに溢れているんだ。名前も知らないが素晴らしい作曲家、うん、それこそが本当に尊い存在さ。

 

 私自身が五六年ほど前に合唱と小さなオーケストラのために編曲したものを、恥を忍んでここにさらしておく。今回は合唱をサキソフォーンに、小さなオーケストラをピアノに見立てて新たに編曲し直してみた。ともかく自分というものが一切表に出ないように、素朴な喜びの歌として書いたつもりだ。この曲を連作の最初にご披露できる事を心の底から嬉しく思う。

 

                                                                                                           2010. 10. 7.