通信20-22 異教徒の密かな楽しみ

 数日前にこのブログで、カントとソナタ、つまり音楽は歌唱と器楽に分類されるとかいう事を偉そうに書いたが、実はそれは西洋音楽にとっては、単なる分類以上に深い意味を持っている。われわれが西洋の音楽の歴史のついて語るとき、その多くは宗教音楽の歴史、それはおもにキリスト教なんだが、そいつが深く絡みついている。私自身が本当に知りたいのは、教会の外の音楽、うん、世俗音楽とよばれるやつね、ただ教会の外の音楽についてはほとんど資料が残っていない、それで世俗を映す鏡としての教会音楽として、その歴史を学んでやろうと思っているんだ。


 司祭、アウグスティヌスはその著書「告白」の中で、聖歌に感動した事を書き記しているが、歌われている内容にではなく、歌そのものに心を動かされたとそう告白している。そうして歌そのものに感動する自分を罰せられるべき存在だとも書いている。うん、面白いね。この時点でアウグスティヌスは歌詞と旋律を別々のものだと捉えているんだ。教会は長い間、ミサに楽器を使う事を禁止していた。楽器、そいつは人心を惑わず不浄のものだってんで禁止、うん、キリスト教は何だって禁止していたんだ。不道徳な事はもちろん、おしゃべりも禁止、十三世紀頃には笑う事すらも禁止していたらしい。まあともかく旋律がもたらすもの、それはただの快楽でしかないってな事だろうね。高さと長さが異なる音を並べるだけで、教会が恐れるような快楽が生まれる、うん、このあたりを丁寧に突くと、何やら音楽という不思議なものの本質が見えてきそうな気がするね。


 われわれが音楽史について語る時、その中心になるのは教会音楽の歴史なんだ。何故って、他に資料がないからさ。私自身、本当に知りたいのは農村や、街中で流れていた音楽についてさ。街中で物乞いたちが、わずかな小銭と引き換えに奏でていた音楽、ジプシーや、バグパイプ吹きが、祭りの際にどこからともなく訪れ、人々を熱狂させたという音楽、それらがどういったものなのか、本当に知りたいのはそれさ。


 ただ、教会の内と外も、何らかの影響を与え合ってはいただろう。教会の外に隠れて、内と外とをきっぱりと遮断するように閉じられた、その厳めしい扉の向こうから微かに漏れ聴こえてくる音をこっそり譜面に書き取り、罰せられた市井の音楽家たちが存在していた事は知られている。教会の方は自分らの音楽が、外部に漏れないようにかなり厳しく管理していたらしい。自分らの神を讃える音楽が野蛮な異教徒共の手に渡ったら大変だからね。


 もし、私がその時代に生きていたら、うん、間違いなく聖歌を盗み採る異教徒の側にいただろうね。教会の中庭の繁みの陰にうずくまり、顔には頬っ被り、鍵型に曲げた指に鉛筆を挟み、しこしこと一心不乱に流れてきた音を書き取る。人が近づいても気が付かない。いきなり背後から首根っこを掴まれるか、耳を引っ張られ、いててて、まあ、聖歌を盗んだぐらいでまさか火炙りにされる事もないだろうが、鞭打ちぐらいなら在りうるかもしれないね。


 ところでその聖歌という有難いもの、それは一体誰が作ったものなのかって?そりゃあもちろん神様さ。そもそも作曲などという行為は人間には許されていなかったんだ。作曲に限らないさ。物を創ってもいいのは、天地を創造なさった万能の神だけだ。有名なグレゴリオ聖歌、もちろんあれは神様がお創りになったものを人間が搔き集めたのさ。人間に許されるのは編曲する事だけだ。すでに存在する聖歌の音と音の間に装飾的な楽句を挟み込んだり、対旋律を付けたり、せいぜいそれぐらいさ。


 聖歌の素晴らしさには震えがくるね。実際に神様がお創りになったものかどうかはさておき、ともかくそいつは誰が創ったというものでもない、長い時間をかけて、人々の口から口へと歌い継がれてゆく間に、ゆるやかに形を整えてきたものなんだ。個人の思い付きだとか、癖だとか、そういうものを遥に凌駕した、われわれを取り巻く自然そのもののように完成されている歌さ。音楽における自然とは何か、そいつを知りたければ、まずはこの聖歌ってやつとじっくりと向かい合わなきゃあならない。


 ともかくカント、歌唱というものについて簡単に、与太話もまじえて書いてみた。それに対して器楽、つまりソナタってのは・・・と話しが続かなきゃあならないんだが、ちょいと疲れてしまった。この続きは後日。


                           2019. 5. 29.