通信20-16 めがね型ルーペをみつける

 さあ、お膳立ては整った、と言いたいところだが、キーボード、うん、ピアノの鍵盤みたいなやつ、そいつに不備が見つかったんだ。ともかくそいつを買い替えなきゃあならない。早速電器屋へ。いやいや、カタツムリみたいにそいつを担いで電器屋から出てくる自分を想像してすっかり萎えてしまった。うん、やっぱりこんな時は通信販売だね。という訳で仕事机の大きさに丁度合ったサイズのやつを注文する事にした。


 そいつが届くまでどう過ごそうか?うん、コラールを書こう。そうだ、また百個のコラールを、まあ正確には九十六個のコラールだが、そいつを書いてやろうじゃないか。何故九十六個なのかというと、世の中には二十四の調が存在するんだ。ハ長調とか、変ホ長調とかいうやつね。そいつを四セットで九十六個って訳さ。いや、そうか無調のコラールを四個付け加えて百個にすればいいんだ。


 そいつをひと夏使って音にするんだ。慣れないパソコンを使ってさ。百個も作れば少しは慣れるだろう。パソコンという新しい道具、ともかくそいつが手に馴染まない事には始まらない。まずは手、そういう事さ。


 じっとりとした夏の空気が、イタリアの大女みたいに背中に圧し掛かってくる中、せっせと作業を続ける自分を思い浮かべると、いささか萎えてもくるが、なあに、丁度十年ほど前、ろくに見えない目で、親指ほどの大きさの音符を、マカロニよりも太い五線に書き並べ、百個のコラールを書き上げた時に比べたら、まったくどうって事ないさ。あの頃といえば、わずかに数十小節のコラールを一曲書き上げただけで、私の目ん玉は蒸しあがった肉饅頭みたいにほかほかと湯気を立て、頭はがんがん、ああ、頭蓋骨の内側ではノートルダムの鐘撞男が大暴れってなもんだ、それから半日を寝込んで過ごさなきゃあならなかった。うん、肉体的にも辛かったが、そんな事よりも、思うように作曲ができないという事で、日々卑屈になってゆく自分と向き合うのが、何よりも辛かった。いや、もう終わった事だ。思い出すのはよそう。思い出すだけで、何だか自分がたちまち底意地の悪い人間になってゆく気がするんだ。あの頃と比べたら、今なんて幸せなもんだぜ。貧乏という、私のように生きる意味を見出せないでいる人間には、ある意味そいつは楽園でもあるのさ、その楽園の中で持て余した暇を謳歌しているんだ。


 実は昨日、本屋でさ、気になるものを見つけたんだ。メガネ型のルーペさ。ちょいと戯れに掛けてみると、あれ、何だか思ったよりも随分と見えるんじゃないかね。いきなり胸がどきどきと鳴り出し、汗がじわりと滲んできた。これ、掛けると、もしかしたらもう一度、手書きの譜面が作れるんじゃないだろうか。また鉛筆を使って、さらの五線紙に音符を書きつける。ああ、良いなあ、そう考えるだけで、これまで手のひらからぱらぱらとこぼれるように次々に無くしていった大切なものが、戻ってくるような気がするんだ。


 そういえば一昨年の秋、一度だけ手書きの譜面を作った事がある。出来上がった譜面、そいつはぐにゃぐにゃで、ああ、見るだけで情けなさにじわりと涙が滲んでくるような代物だったが、いろいろと事情があって、精神的に追い詰められていた私は恥も忘れて、その譜面を大切な方に送り付けてしまった。さらにその続編もやはり手書きで書いてみたが、とても送りつけられるようなもんじゃあないという事にようやく気づいたのだった。その譜面は今でも、私の仕事机の上に、私を戒めるかのように在る。


 自信、そうだね。そいつを何より取り戻したいね。そいつをなくす事で、あらゆる人間関係もすべてぶっ壊れてしまったんだ。卑屈、うん、嫌な言葉だねえ。私はその言葉を首からぶら下げてこの十年間を過ごしたんだ。


 もう一度、鉛筆を使って書いてみようかな。鉛筆でしっかりと紙に刻みつけた音符を、DTМで音にする。うん、今年の夏はこれを目指そう。手書きの速度、そいつを取り戻したいんだ。音符用のワープロ、どう頑張っても手書きのスピードには追い付けない。作曲、そいつに必要なものは速度なんだ。考える速度と、手の速度のせめぎ合い、その中にもう一度自分を置いてみたいね。うん、手書きは自由でいいぞ。疲れたら五線紙の隅っこにドラえもんや、サザエさんを書いて遊ぶ事だってできるぞ。

 

                           2019. 5. 23.