通信20-35 ようやく小さいやつをひとつ

 わが心の弟子、今は東京の偉い先生の元に里子に出しているってな感じのМちゃん。ここ一月ほど、彼女からの問い掛けに答えるつもりで、しばし自分の修業時代について書いてみた。縁側で孫娘に、西瓜でも齧りながら、のんびりとよもやま話でも垂れ流す感じでさ。時折は話している内容よりも、ぷっと吐き出した西瓜の種の飛距離に気を奪われたり、うん、ようするにぐだぐだな感じでさ。

 

 自分の若い時?ああ、まったくろくなもんじゃないね。ちょいと振り返れば、たちまちその駄目っぷりに縮み上がってしまう。まったく流されっぱなしさ。それでいて時には臆病風に吹かれて、これ以上流されないようにと、必死で杭にしがみ付いたり、うん、どうせならとことん流されてしまえばよかったのに。そうしたら多分、今、私は日本にはいないだろうね。いや、そもそもこの世ってとこにいないだろうさ。

 

 Мちゃんは中学生の頃に私がどう過ごしていたかを教えて欲しいというんだが、多分そのあたりには今回もっともっと濃い駄目っぷりがてんこ盛りになってるんじゃないかな。根性のひん曲がった犬みたいに、ただ、わんわんわわわんと吠えまくっていただけのような気がする。実は本当にその頃の事をよく思い出せなんだ。そうだね、思い出す事を私の脳味噌、うん、ささやかな味噌のかたまりさ、そいつが拒否しているのかもしれないね。脳味噌には自己を防衛する機能が備わっているらしいからね。

 

 実は昨日の夜、小さなピアノ曲が一つ完成したんだ。といっても、これまで私が完成したなどという時には、それは譜面を書き上げたという事を意味しているんだが、今回はそうじゃない。DTМ、要するに書き上げた譜面を、コンピューターを使って音の像に仕上げたという事さ。

 

 本当に小さな細工だが、それでも泣きたくなるぐらいに苦労した。当てずっぽうに機材を揃え、コンピューターの用語を一から勉強して、時には感電し(ごめんこれは嘘)、ああでもないこうでもないと頭をくるくると捻りながら、たまたまお会いしたチューバ吹きのМさんにまでスマートフォンを使った多重録音の仕方を伺ったり、ああ、ちょいと首を振ると耳の穴や鼻の穴からコンピューターの用語がぱらぱらと零れ落ちてくるような毎日を過ごしていたんだ。ブログを毎日書いていたのも、何もしないよりはキーボードに触れていた方がましだろうという、鰯の頭も信心から的な、迷信にすがる年寄の切ない気持ちからさ。

 

 頭の中の音の像と、私がコンピューターから引っ張り出した音の像がまったく一致しない。その絶望的な場所から作業は始まった。コンピューターの操作に頭をすっぽりと突っ込んでいると、うん、たちまち自分が何をやろうとしているのかが分からなくなってしまうんだ。

 

 そこに「お題」が書かれていなければ、そもそも何が描いてあるのかも分からない、ナンシー関氏が主宰していた記憶スケッチアカデミーへの出品作品みたい、ともかく正体不明、それでいてただただ他人も自分も不安にさせるためだけに存在しているかのような不気味な音が、私のコンピューターから日々流れ出し続けたんだ。

 

 七転八倒?いやいや七転び八起だ。昨日ようやくそれらしいものが出来上がった。そいつはまさに萌芽という言葉を使いたいぐらいに小さいものだが、うん、後は少しづつ拡大してゆくだけさ。その点はこれまで手書きでやってきた作曲の修業と同じさ。

 

 とりあえず夏の間に百個のコラールを、コンピューターを使って音にするという計画があるんだが、これと並行して小品集を作ろうと思っている。うん、わが心の弟子、Мちゃんが夏休みに帰省したらさ、見せびらかして、いや、聴かせびらかしてやろうかと思っているんだ。とりあえずブログ書きから、作曲家に戻ってさ、うん、あとどれぐらいの寿命が私にあるのかは知らないさ。でもまあ、退屈しない当てができたってもんさ。

 

                                                                                                 2019. 6. 10.