通信21-30 リンカーンがアメリカンコーヒーを・・・

 わが作曲の愛弟子Мちゃんが「先生、大丈夫・・・?」と呟くように言いながら、私の事をじっと見つめている。手には新聞紙、その新聞紙には太字のマジックで「鬱」という文字がいくつも書かれている。もちろん異様に癖の強い私の文字だ。

 

 えっ?ああ、それね。インターネットのニュースの中に「鬱」という文字の簡単な覚え方というのがあったんだ。「リンカーンアメリカンコーヒーを三杯のんだ」と覚えましょうと書いているその記事に従って、ううん、なるほど、などと呟きながら、あれ?何かが足りないんじゃないかな、などと疑いながら「鬱」もどきの文字をいくつも書いてみたんだ。

 

 「ああ、よかった。先生が鬱病になったのかと思った」。あのね、多分鬱病の患者は、わざわざ鬱、鬱、鬱・・・などと紙に書いたりしないと思うよ。患者さんたちに直接訊いた訳じゃないから知らないけど。

 

 もう夏休みもほとんど終わり、二三日中に東京に戻るというМちゃんが、夏休み中に仕上げた大作「ピアノソナタ第一番」の譜面を持って遊びに来てくれたんだ。あいにくスタジオが取れず、私の部屋の古い電子ピアノで聴かせてもらう事になった。ともあれ肌寒い中、わざわざ来てくれたってんで、ほら、熱いココアでも淹れるね。

 

 私が台所に立った間に、私の机の上に広げられた古新聞の落書き、その「鬱」の字が目に入ったらしい。ちなみにココアは、明日Мちゃんが訪ねて来るってんで、夜中スーパーに行って買ってきたものだ。Мちゃんのココアにはミルクと砂糖をたっぷり、自分のココアは何も足さず、ただココアの粉をお湯でかき混ぜてみたら、ん?何だか苦いだけのはったい粉みたいになってしまった。まあ、それはともかく「ココアはやっぱり森永」ってなもんさ。

 

 夏の最初、帰省したばかりのМちゃんに洩らした、まだ学生の頃、ひと夏丸ごとどこかに籠って、普段書けないような大きさ作品を書くのが本当に楽しかったなあという、干からびた老人の回顧談めいた呟き、そいつをそのままダイレクトに受け止めたМちゃんは、ならば自分もと奮起して、今年のひと夏を新作に捧げたらしい。ああ、私は君の事が切なくなるぐらいに可愛いよ。

 

 それにしても驚くほど上達したね。「見上げたもんだよ、屋根屋のふんどし」ってな感じさ。ともかく筆に勢いがある。まるで削岩機みたいに空間を削りながら作曲する姿が目に浮かぶ。多分、テレビを見るよりも、仲のいい友人たちとお喋りをするよりも、うん、そんな何よりもさ、作曲する事が楽しいんだろうね。

 

 次に福岡に来るのは冬休みかな。ならばとМちゃんに即興で簡単なテーマを作らせ、私も簡単なテーマを作り、そいつを交換し合った。よし、冬までにお互いに相手が作ったテーマを使ってソナタを書こうじゃないか。出来上がったそれらを年末に見せ合おう。人生のとば口に立った少女と、棺桶に片足を突っ込んだ老人との競作って訳だ。うん、いいね、わくわくするね。

 

 Мちゃんを送って地下鉄の駅まで歩いた。あっ、ちょっと待って。駅ビルでたまたま目についたチョコレートショップに入り、小さなチョコレートの詰め合わせを買い、嬉しそうに首をくにゃくにゃと曲げて見せるМちゃんに押しつける。Мちゃんが改札の向こうに消えると、たちまちさっき受け取ったばかりのテーマが、はっきりした姿を伴って、私の脳味噌から溢れ出してくる気がした。ああ、今すぐに書き始めたい。ほら、冬まで生きている理由が見つかったじゃないか。

 

                                                                                                      2019. 8. 27.