通信21-29 雨中散歩

 近くに広がる寺町、その道路の一部が舗装された。そのあたりは軽く坂になっていて、山笠が走る抜ける時にそこでぐっと加速するってんで、見どころの一つとなっている。私の家から天神に向かう途中にあるその一帯を、散歩がてらふらついてみた。霧のような雨があたりを舞っている。うん、「小雨そぼ降る石畳」ってな感じさ。なかなかいいじゃあないか。

 

 街中にありながら、そこだけ削り取られた空間であるかのように静かだ。生い茂る木立の向こうに都市高速道路が見えるが、昼間ならばその音はここまでは届かない。何か不思議な物でも見るかのように、空に横たわる高速道路を眺める。

 

 もう十年近くも会っていない、昔はよく連れ遊んだ友人から相談があるとの事で、突然呼び出しを受けた。相談?どうせ子供の進路の事だとか、旦那に関する愚痴だろう。カフェだとか居酒屋だとかで、終わりのない話をぐずぐずと聞かされている自分の姿を想像し気が滅入る。その時間なら散歩をしているから、合流してくれというメールを送った。うん、歩きながらの会話なら、さほどぐずつく事にもならないだろうと思ったし、そもそもその友人は昔からの散歩仲間の一人なんだ。

 

 いつの間にか雨が上がり、その代わり雨そのもののように湿っぽい顔をした友人が現れた。友人はいきなり私の耳朶を引っ張る。いてて・・・君はサザエさんか?私はカツオくんか?私の耳を抓りながら「もうずっと店に来てくれないんだから」などと水商売のお姉さんみたいな台詞を吐く。ん?いや、それでいいんだ。友人は中洲にある小さなバーを一人で切り盛りしている立派な水商売のお姉さんなんだ。雇われママってやつだね。

 

 古寺の境内で落ち合い、当てもなく辺りをぶらつく。何故か友人は押し黙っていて、その沈黙が気まずく私はどうでもいいような事を話し続けた。互いに沈黙を共有し楽しむほどに仲が良い訳じゃないんだ。通りかかった通信機器の販売店の前に立ててある幟に刷られた女の子の顔に何となく見覚えがあると思い、考えを巡らすと、ああ、有名な子役だった子じゃないか、えっ、もうこんなに大きくなったんだろうかと驚き、「ほら、この子、貧乏するなら金をくれという台詞で有名になった子だよね」と思わず口走ると、友人は「凄い・・・」と私を見つめ、「一つの文章で二つも同時に間違えてる」と呆れた顔をする。「その台詞、貧乏するならではなく、同情するなら金をくれだし、そもそもこの子は安達祐実ではなく芦田愛菜だ」と冷ややかに言い放った。あっ、そうか、でも私は何だか少し良い感じだと思った。  うん、私は人様から耄碌爺への道を律義に歩んでいると、そう思われたいんだ。だってその方が何だか楽そうじゃあないか。

 

 それからさらに小一時間ほど歩き回ったが、友人が特にそれらしい話を投げかけてくる事はなかった。何か私に相談があるんじゃなかったっけ?「うん・・・まあ・・・」と曖昧な返事を聞きながら、別に私の方から聞きたい話がある訳じゃないから放っておいた。「あっ、もう店を開けなきゃならない時間だ」と中洲の方に歩き出した友人は、振り返り「たまには店に顔を出してね」と言い残して去って行った。

 

 うううん、一体何だったんだろう。もしかしたらまた店に飲みに来いという、いささか回りくどい営業かな。ともかく友人が去って一人になった私は、自分がとても寛いでいる事に気付いた。そうだね、散歩は一人でやるのが基本だと思っている私は、でも、一人で歩き回っていると、結局、頭の中ではたちまち作曲が始まってしまうんだよな。二人だと馬鹿みたいに仕事の事を忘れられるんだと改めて知った。そうか、二人の散歩もたまにはいいもんだ。うん、三人以上だとちょいと嫌かな。五十人以上で街中を行進するとかいうのは絶対に御免被りたいね。

 

                                                                                                       2019. 8. 26.