通信22-3 間抜けな猿の捕まえ方

 原稿書きなんぞにうつつを抜かしていたもんだから、ああ、十一月という一月が自分の中からすっぽりと抜け落ちてしまった。十一月といえば気候も良く、いつもならば作曲に集中できる月なんだが。いやいや、その十一月に作曲に没頭していた訳だろう?まあ、そうだが、うん、実はちょいと違う。この十一月はひたすら清書に入れ込んでいたんだ。十一月、重力を最も感じる時さ。何だって落っこちてくるんだ。秋の事を英語でfallというが、ああ、上手い事いうもんだね。まさに落下の季節だね。

 

 という訳で世界がぐうっと静謐の中へと沈み込んでゆくこの成熟の時期に、ありとあらゆる場所、山でも、海でも、街中でもさ、いろんなところを与太郎みたいにうろうろと歩き回りながら、思い切りロマンチックな気分に溺れ、浮かんでくる音を自分の中で思い切り自由に遊ばせながら、作品の断片をこれでもかと溜め込む、そんな月が十一月なんだ。清書なんてものは、外出が嫌になるような厳冬の真っ最中に、鼻水でもずるずると垂らしながらやればいいんだ。そういえば私は、いつの間にかすうっと垂れ下がった鼻水を、原稿用紙に落ちる手前でするりと吸い上げる技を持っている。自慢じゃあないが成功率は100%だ。

 

 うん、ともかく十一月にやらなければならない事、そいつは冬支度ってやつさ、その冬支度をすっかりやりそびれてしまったんだ。まあ、今年は幸いな事にどうも暖冬らしい、よし、それならばってんで、これから急いで冬支度に勤しもうってな訳さ。

 

 まずは買い物だね。動物たちが冬眠に入る前に腹の中にたっぷりと餌を溜め込むみたいに、食材を買い貯めておかなきゃあならない。まずは根野菜さ。大根だとか、じゃがいもだとか、玉葱だとか、そんなやつを買わなくちゃね。ああ、白菜も。白菜、これは冬の始めになるべくでかいやつを一つ買い込んで、そいつを濡れた新聞紙に包んでベランダに置いておくと一月ほどでまろやかな美味しものになるんだ。その間少しずつちぎっては食べ、ちぎっては食べってな感じだね。うん、立派な保存食さ。

 

 ところが一昨年の事だ。とうとう空飛ぶごろつきども、あの鴉とかいうやつらに目をつけられたんだ。あいつらは人間のやる事を、離れたところからじっと観察しているんだ。私が大切そうに、毎度白菜を濡れ新聞紙に包むところを見ていたんだろうね。ある日散歩から戻ると、その白菜はすっかり食い荒らされていた。ならば仕方がないと、去年は玄関の内に白菜を置いていたんだが、やはり保存には暖かすぎるんだろうね、たちまち不気味な色をした正体不明の物体に変身してしまった。さて今年はどうしようかと思案しているところだ。

 

 そういえば若い頃、たまたま新幹線で隣りに座った爺さんから聞いた話だ。その爺さん、出兵してボルネオにいたそうだが、現地で猿を捕まえる時、中身をくりぬき、しっかりとロープを繋いだヤシの実に、かろうじて猿の手が通るぐらいの穴を開け、その中に石ころを入れておくと、石ころを取り出そうと穴に手を突っ込んだ猿は、石ころを握った分、手が大きくなって抜く事ができない。そうやって暴れる猿を捕まえるそうなのだが、肝心なのは木の影から覗いている猿に気づいていない振りをしながら、石ころをいかにも大切なもののように扱い、そいつをそっとヤシの実の中に隠すとでもいうような演技をしなければならないそうだ。

 

 なるほど、もしかすると私の、白菜をいかにも大事そうにベランダに置くような仕草が鴉の悪戯心を刺激してしまったのではないだろうか。ならばこの冬は、もの凄くつまらないものを放り置くような演技をしながらベランダに白菜を置いてみようかと思っている。

 

 ところでボルネオで猿を捕まえた爺さん、一体その捕まえた猿をどうしたんだろう?ああ、肝心な事を訊くのを忘れていた。

 

                                                                                                     2019. 12. 4.