通信22-4 蚊の羽音に追い立てられる

 原稿を書き終え、ようやく楽しみにしていた美術展に出掛ける事ができた。歌川国芳月岡芳年の二人展だ。実は月岡芳年、うん、明治から幕末に掛けて活躍した絵師さ、こんなに人物の立ち姿を凛々しく、美しく描いた絵師はいないだろうね、その芳年の作品を直に見るのは始めてなんだ。ひどく興奮して家を出た。「勝って来るぞと勇ましくぅぅぅ、誓って家を出たからにゃぁぁ、おう!」ってなもんだ。

 

 まずは館内をぐるりと一回り、あれれ、家を出る時の昂ぶりが、風船が萎むみたい、ぷしゅううううと萎んでゆく。怪獣ブースカなら「しおしおのぱあ」とか呟くところだ。見たかった絵はほとんど展示されていなかった。しかも肉筆画は一点のみ。たまたまテレビのクルーが入っていてリハーサルをやっていた。「うわあ、怖あああい」という大袈裟な女性リポーターの声が静かな館内に、そして空っぽの私の頭にも何度も響き渡る。うん、実はこの芳年、残酷絵の大家でもあるんだ。

 

 昨日は遠足の前の晩の小学生みたい、布団の中でわくわくと胸を躍らせていた。芳年、晩年の傑作、「月百姿」、ずらりと並んだ月を題材に描かれた百枚の絵、そいつに取り囲まれておろおろと幸せにうろたえる自分を思い浮かべてなかなか寝付けなかった。実際に会場に入ると「月百姿」は数点のみ、まあ、人生そんなもんさと自分に言い聞かせながらとぼとぼと会場を後にする。

 

 いつの間にか知らない道を歩き続けていた。うん、いいさ、失恋を慰めるように、芳年に振られたような気分を慰めるには丁度いいね、などとぐんぐん歩いていると、あれ、目の前いにこんもりとした丘が。えっ、福岡市内にこんな丘あったっけ?ああ、こりゃあ西公園だ。なるほどと思いながら公園を避け、海側に進んだ。ああ、いいねえ。この路地。今は埋め立てで海は遠くになってしまったが、うん、かつての漁師町の風情がまだまだ残っているじゃあないか。その狭い路地に大漁旗が目にも鮮やかに揺れているところを思い浮かべ、うっとりした気分になる。

 

 目についた巨大商業施設に入ってみた。ああ、すっかりクリスマスの雰囲気じゃあないか。ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る・・・ほうら、私の頭の中でも、すっかり干からびて縮こまった脳味噌が頭蓋骨の中でころころと鈴のような音を立てているよ。

 

 その商業施設を出る時、くそ、やられた、思わずしゃがみ込みそうになる。あの、モスキート音とかいうやつだ。こいつが本当に嫌なんだ。この音を聴くとたちまち左右の上瞼に鈍い痛みを感じ、頭痛、吐き気に襲われる。ああ、あらゆる不快感が子泣きじじいのように私の背中にずっしりと圧し掛かってくるんだ。

 

 そういえば最近は、西鉄が駅前にたむろする若者を、うん、主に路上ミュージシャンとやらを追い立てるために、モスキート音を流し続けているらしいんだ。お陰で私はその界隈に一切近づく事ができなくなっている。おいおい、それって立派な、いや、立派などという言葉を使うのは真っ平だ、卑劣な無差別の暴力そのものじゃあないか。路上ミュージシャン、そいつらが邪魔なら腕っぷしの強い警備員を送り込んで直接に排除するべきじゃあないのかい?

 

 ああ、でも今はいろいろと難しいんだろうね。そういえば何年も前の事、天神地下街はパルコの入り口に人だかりができていた。はて、何だろうかとエスカレーターの上から覗き込むと、ちょいと頭のいかれた爺さんがストリップを始めたんだ。警備員たちが何人も寄ってたかって爺さんを押さえつけるのかと思いきや、あれれ、ブルーシートで取り囲み始めたぞ。爺さんが動くと一斉にブルーシート隊もその爺さんを隠しながらうろうろと動き回るんだ。何なんだこれは、私はその滑稽な情景にもちろん大笑いした。市民の視線から爺さんの裸を遮ろうとしているんだが、おいおい、エスカレーターの上からは丸見えだぜ。ともあれ相手が何物であろうとも手を触れてはいけないってな事なんだろうね。うん、大変だねえ、と思いつつやはりモスキート音は許せないね。

 

                                                                                           2019. 12. 6.