通信22-41 ああ、文章を書かなくちゃ

 陽射しは汗ばむほど暖かいが、嵐のように風が吹き荒れて、春になった、のだと思う。それにしてもいつの間にか消え去った冬、今年のその冬は随分と迫力のないぼうっとした季節だった。ここ数年、毎年冬が私の周りの誰かを掻っ攫っていった。そろそろ、この私も自分自身をその冬とかいうやつに差し出してもいいだろうと本気で考えていた。いい加減、生きるのに飽きていたんだ。ああ、でも今年の冬、そいつは人を攫うにはあまりにも迫力が無さ過ぎた。その代わり、いささか迫力のあるウイルスとかいうやつが、世界各地で暴れ回っているが、うん、そいつはまた別の話さ。

 

 いよいよ耄碌が進んだせいだろうか、音符を書く事と文章を書く事の両立が難しくなってきた。一旦音符にのめり込むと、ただの会話ですら憂鬱になるぐらいに言葉ってやつが疎遠に感じられる。このひと月ほどはひたすら音の中に遊び続けた。いくら書いても、奏でても足りないぐらいに音、そいつを楽しんだんだ。うん、音を書き続けなければ自分を律する事ができない、そんな人との出会いがあったのさ。オセロとかいう遊戯のように、何だっていっぺんにひっくり返ってしまうような出会いがさ。

 

 去年の年末は、人生とやらの最後に書こうと思っていた曲を書き上げ、もうそれでいいさ、あとは冬がどこかへ連れ去ってくれるだろうとぼんやり思っていた。でもこの数か月、最後と思っていた曲が次第にはっきりと形を成してゆくにつれ、もっともっと、ぐいぐいと書き続けたいという気持ちが淫心のように自分の腹の中から込み上げてきたんだ。長生きなんて下らない。そもそも長生きってのは体に毒じゃあないか、などと思っていたが、うん、今は少し長生きとやらをしてみたと思い始めているんだ。

 

 それで言葉も忘れてさ、このひと月ほど、ひたすら温泉に浸かるように、音にどっぷりと浸かって過ごしていたんだが、おっと、今月末までに文章とやらを、原稿用紙百枚分ほども書かなきゃあならなかった事を思い出した。それで慌ててお湯から這い出して来たんだ。頭の上からは快楽の湯気をほかほかと立たせながらさ。

 

 という訳で、しばらく音と戯れるのはお休みだ。三十一日の締め切り日まで。十日ほど文章を書く人として過ごすんだ。ああ、それにしても文章を書くってのは辛いもんだねえってんで、まずは目覚ましがてらに、存在すらすっかり忘れていたこのブログを立ち上げ、ほらほら、すっかり蜘蛛の巣に覆われた頁を開いて、さあ、言葉ってやつを思い出すんだ。

 

                                                                                                             2020. 3. 19.