通信22-2 レモン

 ここ数日、後頭部が痛む。どうやら腫れているようだ。まさか、脳腫瘍?・・・いえいえ、ただのおできです。おできってやつは、こちらが手を触れさえしなければ何ともないという、おとなしい性格なので問題ないが、踵にできたいくつものひび割れ、うん、こいつが厄介なんだ。常に踵を少し浮かした状態で、ひょこひょこと歩かなきゃならない。石ころでも踏んだ日には、ううう、と顔を歪め脂汗をしたたらせる事になる。まあ、いい加減寒くなっても草履を突っ掛けて歩き回る私が悪いんだといえばそれまでだが。

 

 そういえばこの一か月、滅多に口に入れない物を食べてみた。我が鍼灸の権威、筑紫先生からレモンと蜜柑をいただいたんだ。レモン?ああ、レモンさ。梶井基次郎丸善の洋書コーナーで積み上げた本の上に置き去りにした、あのカーンという冴えた色を放つ果物さ。

 

 それにしてもレモンってどうやって食うんだ?そういえば私の故郷の名産品の中に「レモンステーキ」といかいうけったいな肉料理があるんだ。よし、早速そいつを作ってみようってんで、見様見真似、いや、実際には見た事もないから多分こんなもんじゃないかと、仕事に疲れ、くしゃくしゃになった頭に浮かんだ妄想にそってそれらしいステーキソースを作ってみた。うん、なかなかいいじゃあないか。何となく健康の香りがするね。

 

 レモン、こいつはなかなか私のような唐変木からは遠いところに存在している不思議な物体だった。うん、何となく柄にないものだという思いがあったんだ。レモンに関するエピソードといえばこれまでの人生で二つしか思い浮かばない。一つは昔みた青春ドラマの中、街中で乱暴狼藉を働いている奴らがいたのだが、そこへ現れた正義の使者がまだ高校生ぐらいだった伊藤かずえさんだ。乗馬服を身に纏い、白馬に乗って颯爽と現れた伊藤さん、馬に乗ったまま悪党どもをたちまち蹴散らしてしまった。「おぼえてろよ」などとありふれた捨て台詞を吐きながら這う這うの体で逃げてゆく悪党ども。伊藤さんに感謝の言葉を掛けながら、「せめてお名前だけでも」と問う非力な善人たち。謙虚な伊藤さんは、一体どこに隠し持っていたのか、突然とりだしたレモンを顔の横に掲げ、「私はただのレモンが好きな少女よ」と言い放ったんだ。その現実にはあり得ないエピソードの積み重ねに頭をくらくらさせながらも、私はレモンというものが颯爽だとか、さわやかだとか、ともかくそういうものの象徴なのだろうという事を知った。

 

 もう一つのエピソードは、今は亡きコメディアンのたこ八郎さんが、師匠の伴順三郎氏から「ポッカレモン」を買って来いと命じられたものの、まちがって「ママレモン」を買って来てしまい激怒されたというひどいものだ。

 

 そういえば先日、マシュー・ボーンというイギリスの振付師が演出した「白鳥の湖」のDVDを観ていたのだが、うん、これは白鳥役を全員男性バレリーナがつとめるという画期的なものなんだ。白鳥たちは全員が前髪をV字型に伸ばしている、多分白鳥のくちばしを表しているんだろうね、その中の一人が、坊主頭にV字の前髪、私はバレエを観ている間中、たこ八郎氏さんの事を思い出してしんみりとした気分になっていた。

 

 調べたところによるとレモンは毒出しの効能を持っているらしい。そうか、今年の冬は是非、このレモンってやつを使って、青春の甘酸っぱさを噛み締めつつ体中の毒を絞り出してやろうかなどと秘かに思っているところだ。

 

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