通信20-30 どうしてわたしは爪を噛むの?

 久々に県境を超えた。昔の弟子が、地元に戻ってピアノの教師をしているんだが、今、三人の音大受験生を抱えているらしい。それで大学に入るまでに準備しておいた方がいいと思われる音楽理論について、その子らに話をしてくれってんで、うん、何だか楽しそうだと引き受ける事にした。

 

 幸いの好天だ。南九州はすでに梅雨入りしたらしいし、ここ数日は何となく粘りつくような湿った空気があたりを漂っていたから、天気については大いに心配していた。うん、私は電車の窓から風景を眺める事に、人生の多くを賭けているんだが、今日は燦々と降り注ぐ午後の日差しの中を、緑の中を掻き分けるように電車が進んでいるところを、数日前から想像しわくわくしていたんだ。それでてるてる坊主でも作ったのかって?ふん、そんなもの必要あるもんか。この私自身がてるてる坊主さ。ここ数年、私の頭部のてるてる坊主化には著しいものがあるんだ。

 

 JRの駅に降り立つ。ほぼ十年ぶりだろうか。おお、相変わらずの寂れっぷりだね。人気がないため、実際よりも広く見える駅前のアーケードを歩く。そういえば前回来たときは、あまり目が見えてなくて、壁に描かれた穴倉に潜り込もうとしたんだっけ。ともあれこの寂れた雰囲気は今の自分に似合っていると思い、普段の緊張から体の中に溜めていた息を吐きだすように大きく呼吸する。

 

 実際、音大に入っていきなり受ける和声法だとか、音楽史だとかの授業、それらはいささか敷居が高い。そもそも何故、そんな事を学ばなければいけないのか、前もってその事を押さえておかないと、ただただ授業の度に、徒労感が増してゆくだけさ。

 

 とりあえず基本のさらにその基本、そこまで遡って話しができればいいな。例えばさ、高さと長さが違う音がいくつか並んでいる、その音を聴くだけで、何故心ってやつが動くのか、そういった当たり前すぎて、普段は考える機会がない事、そういう事の理由ってもんが少しでも実感できれば、多分これから音楽の勉強をするのが十倍ぐらいは楽しくなるんじゃあないのかねえ、などと私自身は能天気に考えているんだ。

 

 それぞれに好きな曲をピアノで弾いてもらいながら、何故、そこにある音が、その音でなけりゃあならないのかってな事を説明しつつ、思いついた事を何でもいいから、片っ端から質問してもらう事にした。私は夏休みになると、ほぼ毎日、電話子供科学相談室っていうラジオ番組を聴くんだが、その音楽版、そんなものを一度やりたいと常々思っていたんだ。ちなみに「どうしてわたしは爪を噛むの?」(四歳女子)、「時間はいつ始まったのですか?」(中三女子)、「雷様は何匹いるのですか?」(小二女子)この三つが、ここ数年の間に番組の中で聴いた私の中での質問ベストスリーだ。

 

 もちろん浅学な私に的確な回答ができるなどとは思えないが、それでもわずかにでも音楽の本質みたいにものに近づいていければ良いと思いながら、ああ、傍から見るとほとんど与太話か蒟蒻問答だね、三人の受験生と対話を続けた。一人一時間半ずつ、自分の番が終わったら帰ってもいいし、他人のレッスンを聴いていても良い、横から口出ししても良いというルールで始めたら、結局、三人とも最後まで居残り、六時間近くも耄碌爺の繰り言を聴いて過ごすという事になった。お疲れさん。

 

 新しくブログを始めてこれが三十個目のネタだ。朝起きて、三十分で二千文字以内という制限で一月あまり続けてみた。うん、寝起きのぼんやりした頭を醒ますのにはちょうどいいね。本当は起き抜けに、見たばかりの夢を書き留める、うん、夢日記ってやつね、そういうのをやりたかったんだが、何故だろうね、最近あまり夢を見ないんだ。それに夢を毎日のように書き出すと、だんだん書くという行為が夢に影響を与えてくる。夢の中で、これ忘れないうちに起きて書かなくちゃだとか、もうすこしこうなれば文章にし易いんだがだとか、夢をコントロールするようになってくる。ともあれ今回はかつての弟子たちや、出会う事のなかった弟子たちに向かって、自分がこれまでにやってきた躓きを、うん、そんな話なら数えきれないぐらいにある、間抜けなわれわれの足をとる石のありかを書いておこうと思っているんだ。

 

                                                                                                2019. 6. 5.