通信21-22 から元気のような文章を書いてみた

 歌手の桜田淳子氏は、その歌の中で「夏は心の鍵を甘くするわ、御用心」などと、いささか素っ頓狂な警告をしていたが、もちろん私はこの夏という季節にそんなものを甘くした経験などない。夏になれば、誰一人、猫の子一匹いない、真っ白い光に炙り出された架空の舞台のような広いアスファルトの道路を、干からびて死ぬ寸前のトカゲのようにふらふらと歩き回るだけだ。

 

 終わりなく降り注ぎ続ける陽光や、うねるように存在する植物群に押し潰されないように緊張しながら、でもその緊張は大いに高揚した官能を伴って、うん、ともかく散水機のように汗を振りまきながら誰もいない街中を歩き回っている。

ぼうっとした状態がもう十日ほども続いている。呆けているのかって?そうさ、大いに呆けているんだ。最近は何をするにも呆けってやつが伴っているんだ。老人は呆けと込みで生きているのさ。

 

 今、うん、今は作曲呆けってやつに落ち込んでいる。ああ、毎日が悲しくてしょうがない。十日前の私は確かに幸せだった。朝起きてから眠りにつくまで、ただただ作曲に集中していればよかったんだ。海の中を泳ぎ回るみたいにさ、音の中をこれでもかというほど泳ぎ回っていればよかったんだ。一心不乱に好きなお菓子を貪り食うガキみたいに、音を頬張り、そいつをがりがりと噛み砕いていればよかったんだ。でも、うん、いつかは目の前にお菓子がなくなるように、作曲のネタがなくなってしまったんだ。溜め込んでいたスケッチは全部、音符に描き終えてしまった。

 

 ああ、こんな寂しさはないね。皆とはしゃぎ回っているうち、ふと気が付くと一人きりになっていたってな感じだ。作曲中は失語症みたいに言葉がでてこないから、よし、この作曲の期間が終わってまた言葉が戻ってきたら、嫌というほど文章を書き散らかしてやろうか、舌が擦り切れるほど法螺を吹きまくってやろうかなどと思っていたが、いざ作曲が終わると、うん、まったく力ってやつが湧いてこないんだ。力、ああ、そいつを若い頃の私はあまりに無駄遣いしてしまった。

 

 家のすぐそばの地下鉄の駅、その駅の上にあるビルにふと足を踏み入れると、ん?何だ、この悪臭は?うん、ビルの一階ロビー、それから二階に通じるエスカレーター、ともかく人でごった返しているんだ。体臭?何とも言えない饐えた、酸っぱい空気があたり一面に立ち込めている。プラカードを持った係員らしき人が立っていて、そのプラカードを見ると「うちわ配布中」という文字が。そういえば皆、うちわをぱたぱたといわせているぞ。くそ、体臭を拡散するんじゃない。そこにいる連中、何やら不健康そうなんだ。もしかしたら風呂とかにもろくに入ってないんじゃないだろうか?うん、どうやらアイドルのコンサートらしきものに集まっているらしい。それぞれTシャツの背中に女子の名前やハートマークがプリントされている。

 

 ああ、何だか羨ましいね。皆、ギラギラした目で、これから催されるらしいコンサートについての期待を語り合っている。ううううん、それにしても会場に押し込まれたこいつらが、一斉に汗を掻き、大声で声援を送りながらオタ芸とやらにいそしむのだろうか。その時、会場内に立ち込める酸っぱい臭いや、蠢く暑苦しい空気を思い浮かべ、思わず足がすくんでしまった。その中で歌い続けるアイドル。うん、アイドル業ってのもなかなか大変そうだね。

 

 何の内容もない文章だけど、ともかく書いてみた。そうさ、何よりまずは書く事だ。書かなきゃあ始まらない。書いているうちに何やら湧き出してくるものさ。何が?もちろん元気ってやつがさ。それがから元気でもいいさ。ともかくそいつを引っぱり出すんだ。

 

                                                                                                    2019. 8. 14.