通信20-33 雨中散策

 昨日は久々に、朝っぱらから街をうろうろと歩き回った。それがいつもの朝なら、布団から這い出すとすぐにブログを書いて、それから顔を洗い、簡単に朝食を済ませるとスタジオに潜り込むんだが、あいにくスタジオを押さえる事ができなかったんだ。いつもなら午前中に楽器の練習、午後から原稿を書くというそんな習慣が逆転してしまった。

 

 ううん、午前中に原稿用紙に向かう気力が湧かないなどと、勝手な事を呟きながら、散歩に出掛けた。梅雨の空は低い。街はじわりと山笠の準備を始めている。方々に山小屋が建ったし、神域を示す注連縄もはり出されている。人気のない朝の街に、ほら、ぽつぽつと警察官の顔が見えるのは、そうか今日はG20とやらが開催されるからだね。

 

 ふと気が付くと、あれ、無地のシャツを着ていたはずなのに、いつの間にか可愛らしい水玉模様のシャツに変わっているじゃないか。うん、ぽつぽつと雨が降り出したのさ。よし、雨宿りだってんで目の前にあるビルに潜り込む。そのまま雨に煙る街並みを見下ろしてみたくなり、エスカレーターに乗った。このビルの七階には美術館があるんだ。うん、アジア美術館という、ちょいとへんてこな催し物を開く美術館さ。

 

 実はこの美術館はあまり好きじゃない。数年前、葛飾北斎展をここで見た。何か流行っていたのかねえ、ちょうどいろいろなところで次々に北斎展が開かれていた頃で、北九州美術館に始まり、九州内の美術館を数か所、かどわかされるようにふらふらと回った。最後に来たのがこの美術館だったが、作品の選択、配列、照明、そのどれもが自分にはしっくり来ることがなく、うん、何だか「昼行燈」という言葉が浮かんだ、ぼんやりした気分で会場を後にした記憶がある。ただ、版画の多くが新しく擦り直された物ばかりで、なるほどこれがベロ藍といわれる青なのかと確認する事ができて、その点は嬉しかった。

 

 あれ、美術館の前のフロアにいつの間にか美術関係の図書館ができているじゃないか。へえ、と思いながら適当に目についた本を引き出してぱらぱらと眺めてみた。おっ、月岡芳年の画集があるぞ。開いてみると、ああ、やられた、突然鼓動が早くなる。凝縮され、紙の上に叩き付けられた芳年のエネルギー、しかもいささか誇張されたような構図が、でも、ぴたりと決まっている。くそ、まいったね、こんな事している場合じゃないぜ。私も早く書かなくちゃならない。もう時間がないんだ。

 

 うん、最近ひどいジレンマに襲われっぱなしさ。DTМに取り組み始めてからずっと。毎日、パソコンの前でよちよち歩きなんだ。あんよは上手ってなもんさ。ガマの油のような粘っこい汗をたあらたらたらと垂れ流しながら、目が霞むまで作業を続け、自分の情けなさにはらはらと涙しながら、パソコンの電源を落とす。

 

 今のところ、毎日の作業に、全くの出口が見えないのは、うん、私がコンピューターで作られた音楽に、一度も本気で魅力を感じた事がないからだろうね。参考にと、片っ端から誰かが作った音源を聴き、へえ、よくできているもんだねえ、凄いねえ、と感心するんだが、ああ、一度も心を奪われるほどの興奮を感じた事がないんだ。結局、生の楽器のイミテーションを作っているだけじゃないか。それなのに何故か、誰もが嬉々としている。そんなに楽しいのかい?私は物を作る時に、うきうきした事なんて一度もないぜ。

 

 ともあれ絶対にコンピューターでなければならない、生の楽器ではできないコンピューター独自の音楽はないんだろうか。そうさ、私は頭から湯気を噴き出すような、そんな音楽を作りたいといつも思い続けているんだ。

 

 それでも不思議な熱意に引き摺られ続けている。昨日も、今日も、多分明日もさ。うん、もともと私は自分が出来そうにもない事にしか興味が湧かないからね。頭の中に、有りっ丈の想像力を駆使し、そこにしかない、まだ世の中のどこにも存在しない響きをゆっくりとコンピューターに投影する。やらなきゃあならない事はただそれだけさ。焦ってもしょうがないね。何しろ私は初心者なんだ。

 

                                                                                                  2019. 6. 8.